新年にかけて、やっていたこと

新年になった。

この10日余は、日本デザイン協会(NPO)の幹部を中心に話し合った、「デザインのクライテリア設定のための準備意見交換会」のようなものをやった、昨年の記録を起すことで費やされた。

諸事情から外注することができず、自分でやらないとまず、誰もやらないだろう。かと言って他人任せは、抄訳もあることで、心配でならない。つまり全訳外注すれば膨大な時間がとられ、経費もままならないだろうが、その割には内容が希薄で、後からカットすれば、2/3くらいになってしまいそう、という心配である。

ともかくも、「終りの補足」を付けて9ページの訳出を終わったが、同じことを繰り返さないためにも、この記録は有効な活用法が待っている、と信じている。

発言者のチェックと公開部分を明確化した後で、ここにも、当協会のHPにも掲載する予定である。

言葉の理解に大差

テレビの番組で、筋委縮症と言うのか、動きが取れない若者の話があった。

食事中に偶然、これを見ていて「こんな病気があるのかね」と言ったら、女房が突然、怒り出した。「そんな言い方は無いでしょ!かわいそうにとか、そう言うべきでしょ!」と。

こういう症状を知らなかった、という話ではまったくない。スティーブン・ホーキング博士の例を待つまでもなく、よく知っている病例だ。言った意味は、改めてこんな若者に発症する、この種の病気に驚いた、という意味だった。

僕の言い方が、客観的過ぎるということか。状況を判断したら、こんな言い方はないはずだ、あなたはいつも他人事のように話をする、ということの様。しかし、当方はこれが理解できない。客観的な感想がなぜ悪い? どうも状況を判断して相手にすり寄る発言が出来ない場合、ある種の発達障害だとの判断があるようだ。

解りやすい例をだせば、結婚したての頃、ミラノでの生活で、仲間を呼んで食事でもしていた特だったのか、連絡先を聴いた時に「電話が無いので」と言われ、「何だ、電話が無いのか」と言った一言が、女房の僕への評価を下げた始まりだったようだ。相手の気持ちを考えれば、そんなことを言ってはならない、ということだった。

それは判るが、どうもそれほど相手の気持ちを忖度する必要があるのか、という人生観が僕には備わっている。芸術家として育ち、イタリアに10年もいれば、自分の気持ちを主張するのが正統であろう、という心理は、消え去らないどころか、むしろ正統性を主張したくなる。もっと言えば、日本人の持つ忖度心理のいい加減さに飽き飽きしているのだ。

最近、これもある意味で偶然見たのだが、鉛筆だけで人物像、それも大病に悩む妻の横で、その姿を大きく描く画家の1時間にわたる紹介映像があった。妻が「苦しい。死にたい」と言っている傍で、「大丈夫だよ」ぐらいは言っていたと思うが、ここまで行くとさすがにちょっと残酷だなと思ったが、絵に生きることが生命の維持になっているこの男にとってそれは仕方のないことだ、と言うのは納得できた。これを女房に見せたかったが、検査入院していたこともあり、もし見せても、また揉めるのは必定と思えた。

このような自分の体質が災いしてか、あるいは母親の教宣が効いたのか、子供が出来て自信をつけたのか、最近は息子までが「親父はおかしい」と明言し始めた。忖度しないなら、自分の主張に責任を取るのかと思えば、逃げている、ということのようだ。子供の言い分を出来るだけ聞いてやろうとの想いの結果が、このような事態を招いている。

 

このように、言葉の理解は家族の間でも、家族だからこそわかることかも知れないが、非常に難しい。

そこに「形容詞の人か、動詞の人か」という興味ある記事を読んだ(「日曜に思う」朝日新聞12/29、編集委員:福島申二)。

「先月亡くなった中曽根康弘元総理が新党さきがけの代表幹事だった鳩山由紀夫元首相を『ソフトクリーム』にたとえたことがあった。とかく甘めな言辞に対して『政治は、美しいとかきらりと光るとか、形容詞でやるのではなく、動詞でやるもの位だ』と注文を付けた」という。

終りの方では、こうも言う。「私見を述べれば、安倍晋三氏も『形容詞の首相』であろう。振り出しの『美しい国』をはじめ、『地球儀を俯瞰する外交』『女性が輝く社会』『世界の真ん中で輝く日本』……」

「民主政治は言葉と、言葉への責任によっておこなわれる。それなのに国会ではまともな議論さえなく、政府は疑問にまるで答えようとしない。高をくくって思い上がる政治が極まる年の瀬、……」

話が拡散したが、言葉の難しさについては一貫してると思う。

地中海世界のバランス感覚

前もって一言:この「ダイアリー」は「ブログ」とセットになっているようです。つまりブログが2つあるのです。で、時々、両方に書いています。

ベース変換を求められた後、この事を会社に問うたのですが返事が貰えず、そのままになっています。過日、外からアクセスしたら、「ダイアリー」は出ましたが、「ブログ」が出ませんでした。できれば一本にまとめたいのですが、当面、「ブログ」も書いていますので、そちらの検索もお願いいたします。

 

 

 

 

 

「イタリアン・セオリー」という言葉の魅力に振り回された1年だった。

このタイトルは岡田温司京大教授の著書から来ていて、神田順先生(東大元教授・建築構造)が取り上げてから気になって仕方がなく、この2月に討論会をした訳だが、まだくすぶり続けている。

そういう処に面白い記事に出会った。

「私が地中海世界に魅了されたのも、あのバランス感覚。アリストテレスは、論理学をつくった人ですが、同時に、『論理的に正しいことは、人間世界では正しいとは限らない』とも言っている」(塩野七生、「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」文芸春秋2020/1月号、新見正則オクスフォード大医学博士との対談)

日本人の「健康神話馬鹿」から話が進んでいるが、ここに語られている「常識」が日本では常識ではない。このことは僕が「イタリアン・セオリー」から引き出したい何かに繋がっていると思っているのだが、このことは今度の神田先生とのAFフォーラムで具体的な問題になるだろう。

 

論理的に正しいかどうかを問う以前に、日本では数値主義が跋扈している。

 なぜ成績点数の一点差だけで非資格者になるのか。あるいは合格者人数を一人越えただけで無資格者になるのか。

あらゆる入試や資格試験にある、この疑問には長年悩んできた。

この問題は、数値優先、データ優先、それらを元にした法規優先社会のあらゆる面に波及する。結果的に、それを盾にしてきた組織、それを創ってきた官僚、それを認めている国民性までもが巻き込まれてくる。こうなれば日本人の問題だ。

このことは同じ文芸春秋号で藤原正彦が書いている「『英語教育』が国を滅ぼす」にも通じている。

「劣った環境の下で勉学しながら(200満点中)192点をとる者は、優れた環境の下で勉学し200点をとる者より、潜在能力は上とみなすのである。日本ではあり得ない話だ。これがケンブリッジの公平なのである。

ケンブリッジ大学と日本の国立大学との公平は相当に異なると言ってよい。…日本の入試における公平は『一切の主観を混入させない』であり、ケンブリッジのそれは、『主観を入れることでより妥当な評価をする』である」

「そもそもこの世界には、自由も平等も公平も存在しない。すべて(注:大倉追加:ある時代の)欧米の作ったフィクションなのである」

個人の才能や能力がこれらによって規定され、折角の人生が限定されてしまう。見方によっては実に恐ろしいことが「公然と」行われているのだ。

現代の我々日本人に求められているのは、ある種の「地中海世界のバランス感覚」のはずなのである。

おかえり/美しき明治

昨日21 日、府中市美術館に行き、「おかえり/美しき明治」という展覧会を見た。

今頃になって初めていく美術館。車で予定していたが、家内が行かないと言い出し、それなら最近、健康を兼ねて改めて目覚めた電車で、と思ったが、京王線などに近年ほとんど乗ったことがない者としては、異常に遠く感じてしまい、本当に見に行くのか、と思ったほどだが、ついに行ってきた。

印象は立派でとてもいい美術館。東府中駅から公園を歩いて行ったが、快晴もあって気持ちよく、とても豊かな気持ちになった。府中はいいところだ。

僕がこの展覧会に、明治の小絵画に、それもほとんどが小さいこれらの水彩画に拘ったのは何故だろうと、後になっても整理が難しいが・・・

そこには我々が忘れた明治があったのだ。

事実、「お帰り」とあるように、ほとんどが近年の個人コレクターの外国からの買戻しによる作品だそうだ。

そこに我々が忘れて放置してあった明治があった。黒田清輝高橋由一、浅井忠、和田英作、三宅克己、大下藤次郎などは学生時代から知っていたが、50代ごろになって五姓田義松や百武兼行を知って驚いた。そのころから渡英仏、渡米の日本人画家がかなりいたのではないかと思ってきたが、その実態は判らなかった。それを暴いてくれたのが今回の展覧会だった。

特に今回主役を与えられたとも言える笠木次郎吉や、鹿子木孟郎、吉田博などに妙な共感とも美を感じてしまった。素直な水彩画と言ってしまえばそれまでで、歴史を変えるような制作をした訳ではない。しかし、そこには明治の、つつましく、優しく、自然に密着した生活風景が盛り込まれていて、忘れかけた日本人の居場所を再確認させてくれたと言える。それに加えて、信じられないような水彩画技法の体内化。あの時代、多くの画家が日本画から抜けられずにいたと思っていたが、ここに登場する30人位にもなろうか、そのほとんどが巧く習熟して達者であり、多くがアメリカや英仏、あるいはアメリカ経由での渡欧も成し遂げていて、長い者では10年近く滞在していることが判った。

でも、勝手な推測だが、これらの渡航者のうち(この展覧会に出品されたラッキーな画家を越えての話である)、どれだけの者がちゃんと帰国したのだろうか。かの地で夢を失い客死した者だって少なくなかったのではないか。それを他人事と思えないのは、同じように日本を離れた自分の人生体験に密着するからだ。

 

これらの絵画のうち日本で描かれたものは在日外国人に持ち帰えられたことによって、日本の美しい姿を国外に定着させる役割も果たしたのだった。

そんな意味も込めて、歴史的資料としても忘れかけた明治の日本文化を再確認するよい展覧会だと思った。我々が忘れてはならない、日本人の本性がここには現わされていると思ったが、どうもそれが感情的なままでそれ以上、論理的に説明できない。 12月1日まで。

(12 月5日追記)

 

やはり事業への経済的サポートが必要だ

建築家やデザイナーは、自活出来る職業と思われているのだろう。

当人たちも自分の努力で稼がなければならないと思っているのが現実だ。とすると、有名、無名を問わず、自助努力による稼ぎ高の多い方が優秀だという視点が出てくる。

一方、音楽家のことを考えてみよう。音楽家の場合、家庭教師位しか収入の途は無いのでは?(どちらの職能も企業・団体所属、教職などを除く)。つまり収入が予定される職能ではないのだ。どうやって本業で食っていくかについては、演奏会やコンクールで名が出るなどして、何らかの手段や方法で有名になるしかない。そうなれば客やスポンサーがつく。

その売れるか売れないかでの落差は建築家やデザイナーの比ではなく、はるかに厳しく現実的だろう。当然、基本的に芸術的資質と表現の才能が有って、それを生かす努力もしているレベルの話だが。客やスポンサーを見つける出発点からの意識と努力意識レベルは比較にならないかもしれない。諦めるのも早いかもしれない。

今、日経新聞の「私の履歴書」で、わが国でのインターネット業界の創始者と言われる鈴木幸一という人が書いているが、音楽家からの取りつかれ方が判って面白い。この人自身が「日本最後の変人・奇人」と自称しているが、経済界にこういう人が居てくれたおかげで、音楽家も大きな事業が出来るようになったというわけだ。(浅利慶太小澤征爾に詰め寄られた話。もっともご本人も音楽好きで、若いころ、ソ連監視下で沈んでいたプラハでの体験から、「いつか東京でも市民が悲しみや喜びを分かち合える音楽祭をつくれたら」と思っていたとのこと。2019/10/30記事)

振り返って我々は(というより、結果として受け入れたかどうかは別として、この社会全体も)、建築家やデザイナーを一方では「稼ぐ事業」とみなし、他方では「アーティスト的役割」に振り分ける。結果として、どっちつかずのいい加減な精神職業に陥りやすい。

こうして我々はスポンサーを見つけるのには出来処次第だし、必死の努力をして来なかった。いいことをやっていれば客は付くとの安易な考えが主流で来てしまったという実感がある。

これからは第二の人生として、社会的要素の大きい「NPO日本デザイン協会」を生かすように、公のためにやるべきことを経済的背景について真摯に考え、納得のいくように訴え、行動に移さねばならないと思っている。そのためにも、それもあって、サポート企業を求める必要も意味もあると思う。