今、デザインの原点から再考する

【論】(●●7月8日記事後段に本題のイントロ)


デザインの原点復帰はどうすれば可能か

向井周太郎さんの話から



大変、驚いた。正確に言えば感心したと言うべきか。よくぞここまで自説を検証、展開して来たものだということで。
これは厭味でも批判でもなく、純粋な研究学徒の軌跡の例証として、本当に素直に感心したのだ。そしてその考え方に異存はない。


向井さん(先生と呼ぶべきところだろうが、ここでは位や肩書きに囚われたくないとの思いで、さん付けで許して頂く)は思いの外、白髪で少年のような方で、丸襟僧侶カラーの麻らしい白シャツ姿。企画・進行の佐野邦雄さんに紹介された。
佐野さんの言うように「超硬派の集会」だけあってか、参加者は20人ほどか。そのことは残念に思えた。
【補足1:向井さんは早稲田の商学部でドイツ経営経済学を専攻、修士課程に入ったばかりのとき、インゲ・ショル(ウルム造形大の創設者であり、オテル・アイヒャーの妻)の「白バラは散らず」(邦訳名)という本に出会って衝撃を受け、開校したばかりのウルム造形大学に入りたいと思ったとのこと。丁度、JETROのデザイン留学制度を知って応募、念願がかなったという。
この本は、インゲの弟と妹がナチスに対する「白バラ」という抵抗運動で斬首された経緯の手記であり、バウハウスの閉校もナチスの弾圧だったのだ】
【補足2:向井さんは、日本に根付いたアメリカ型の大衆消費社会がもたらした、デザインの専門化と細分化に大きな危機感を持ち、1960年を「近代デザインの意味の分水嶺」と呼び、1967年に武蔵野美大に横断的な新しい型のプランナー、デザイナーやデザイン研究者を育成する基礎デザイン学という学科を起案設立した】



セミナーは準備された43枚のスライド・ショーで行われた。それが文章だけで構成されていて、その多くが10行位の小さい文字で出来ていた。
最初、このプリント資料を渡された時、これは3時間話しても無理じゃないかと思えたほどだった。


実際、向井さんは2時間半ほどは話しただろう。前段の近代デザインの意味における、ドイツ工作連盟バウハウスにまたがる問題は、当方が専門研究者でないこともあって途切れ途切れの把握しか出来なかったが、中段から後はすべて聞き取ることが出来たと思っている。


そこで述べられたことは、デザインが「『生』の全体性としての生活世界の形成に関わる、人間にとっての主要な生存指針である」、ということだった。
スライドの半分近くは、この論証に用いられ、僕個人にもまったく異存のないものだった。
「デザインは社会の希望を照らし出していく生成装置である」
「デザインとは専門のない専門である」


日本のデザイン界の現状についても正確な視点を持っておられ、夏目漱石が言った「西洋の開化は内発的であって、日本の開化は外発的である」「開化への推移は内発的でなければ嘘だ」(1911・明治44、和歌山市内での講演)は「今日なお切実な課題である」とし、それは3・11以前でも、「ポストモダンの波をよそに」、この視点から2、3の「先覚的な提起」があったとしている。


それは日本の「自然、風土、歴史に根差した文化の生命性が捉え直されてきた」(鶴見和子の「内発的発展論」をベースに)ことや、「在来の経済活動を中心にすえた経済学から、社会と自然、社会と生命との接点を見つめて、生命系を根底において経済学を見直し固有の論理を創出していく試みが生まれてきた」事だとし、それが「スモール・イズ・ビューティフル」(シューマッハ―)に繋がっている、としている。

(以後記述の予定)