建築の話もしなければ

建築関係の「話」を少し。一般の人にも判るように。
●印以下、追記あり



軽井沢に内村鑑三の記念館があるが、石積みの小さい洞窟のような実に奇妙で魅力的な「教会堂」のような建物である。
誰が構造設計したのかとずっと思っていたら、「僕ですよ」とのこと。


昨夜、ある構造設計家の話を聞く機会があった。
2000件とも称する、実にいろいろの構造に取り組んで来られた。
面白いのは、あらゆる建築構造の中核をアーチ型として捉え、それを軸にあらゆる構造を分類して見せたこと。日本では軸組構造(柱と梁を組み合わせて造る構造)が主体なので、アーチ型を主張すると構造家仲間でも毛嫌いされるらしい。
次にご本人の弁によると、アインシュタインの相対性原理のシンプルな数式に魅せられて、自分の建築評価数式を編み出したということ。なるほどと思うが、数式に置き換えたいところはまさしく構造設計家だ。
そのあとで、関わった建築の構造についてたくさん紹介があったが、その多くが知っている建築家の依頼かコラボによる作品だった。
あえて質問はしなかったが、これらの「作品」は建築家の名前で知られていて、構造設計家の名前で知っている人はどれだけいるのだろう。それらの多くは、彼(の事務所)の協力がなかったら、実現しなかったと思われる。
実は彼のことは、亡くなられた近江栄先生(日大名誉教授)の主催されていたグループでの出会いがあって、古くから知っていたが、どうしてかその後疎遠になった。それもあってか、自己紹介する前から、「あなたのこと知っていますよ」という目の挨拶で始まった。
今、思えば、これだけ実験的な構造提案をされていたのなら、もっと積極的に付き合えばよかった。話を聞いていればいるほど、構造への愛のようなものが伝わってきて、「ああ、こういう人が本当の構造家なんだ」との納得を得た。
その人は今川憲英さん。(東京電機大名誉教授:社会構造設計研究会の湯本長伯先生が主催する「6/26情報設計小委員会ラウンドテーブル」にて)


今川さんのアーチ型を原型とする構造を思い浮かべていると、出てくるのが谷口吉生さん。徹底して柱と梁、垂直壁、深い庇(ひさし)、陽光などにこだわる姿勢は、あえて言ってみれば、構造家のスタンスとは正反対の位置にある。もはや構造は主役ではない。これが本当のデザインなのだが、実に仕事やクライアントにも恵まれている。
ある大手建設会社の元社長と話す機会があったが、どういう流れか、「建築家は一代限りと自覚すべきだと思う」と述べられ、何かその思いに至る理由があったのだろうと思ったものだ。谷口さんはその意味では例外的で、父子続いて偉業を成し遂げている。
そんな彼が今月の日経新聞私の履歴書」を担当している。その中に、仲間内で議論になったことがある。

ファースト・レディだった当時のヒラリー・クリントンMoMAニューヨーク近代美術館)の増築設計の当選祝賀会に来てくれた時のこと。「スピーチ前の5分間で私自身の経歴などを、別室で簡潔に説明するように頼まれた。その後の彼女の挨拶にびっくり。私のこともコンペについてもずっと以前から詳しく知っているかのような口ぶりなのだ」(同記事6月24日)
この記述について、僕は政治家ならそのぐらいの「忖度」要求は当然あるだろうと思っていたが、「ヒラリーはやっぱり邪(よこしま)な政治家だと判った」という者がいて、改めて読み直したくらいだった。




●蛇口の水を出しっぱなしにして手や顔や食器を洗う。レストランやカフェでは、飲みもしない水を無料で出す。
今でこそ「日本人は水と安全はただと思っている」ことはないだろうが、これこそ無意識のうちに自然の恩恵を当然のように思い込む体質の身近な具体例だ。
日本人が思い込んできた体質(習慣)って恐ろしい。その一つが住宅(特に古民家)の経済的評価だ。
多くの庶民の住まいは天変地異にさらされ、台風や地震で壊され、火事で消滅し、住まいが固定化し安定するということは考えられなかっただろう。壊れるまでだ。壊されたらまた造りかえればいいという無常感が、住まいを資産とする考えを育てなかったのだと思われる。


親と住む古民家を、自分の下手な図面を大工に見せて何度か増改築を繰り返し、「建築の在り方」を学んできた。その際に子供ながらに(といっても高校生だったろうが)、細かく木枠組みされ、小さいガラスをはめ込んだ縁側窓や、玄関の立て組桟ガラス戸などがもったいなく、作った職人さんも大変だっただろうなと思えば思うほど捨てられない。結果としてアルミサッシ窓やドアは使わず再生させてきた。あの、モノを大切にする気持ちが今失われようとしている、というより、すでに失われてだいぶ経ったというべきだろう。
日本では築50年もすれば(しなくても建てたその時から減算が始まる)住宅の価値は経済的にゼロとされ、売地とともに壊されていく。
確かに木造は朽ちていき、ヨーロッパの石やレンガの文化とは大きく違う。だからと言って現状でいいのか。
維持努力が良い戦前までの住宅のある程度のものまでは、職人技が多くみられ、無垢板や手加工技術に見せるものが多い。その外観も一見、貧相ではあっても個性的なまちの景観を造り、日本の文化を創ってきた。残せるだけ残した方がいい中流クラスの住宅も少なくないのではないか。そうでない一般庶民の家でも、民度のスタンダード・モデルとして少しは残していく必要がある。
伝統住宅の維持保存やまちの景観に無頓着になったのには、今思えば建築家も大いに関係がある。
確かに、150年に渡って作られた国民意識、特に戦後の経済万能の流れの中で、建築家個人ではどうしようもない力が働いてはいる。
とは言っても近代以降の「建築家」は輸入職業であり、工業技術と造形感の結びつきを最優先させ、初めは真似の習得で、戦後は高度成長期に見る「造れや、どんどん」に乗って、新しい「作品」を生み出すことのみにのめり込み、維持保存や再生、保存か解体かのデザイン的観点も考慮に入れた法的基準、それらに関わる経済的、法的措置の前倒し提案をなおざりにしてきたのも事実だろう。業界事情のシグナル役であることを思えば、ここまでの我々建築家やその団体、それを支えたジャーナリズムにまったく責任がないとは言えない。自分たちで出来なければ、サポートできる技術集団の育成を提言するとかの知力と戦略が必要だったのでは。
耐震強化してもすたれは救えずコストだけかさみ、空き家にすればますますすたれる。入居を維持するための経費も馬鹿にならない。この人口減のなか、自分が死んだら誰も管理しなくなるという家は多い。
もちろん、個人レベルやNPOで頑張っている集団はいる。それらを統合して、国が率先して知力を集積して地域優先のバランス・ルールを創るということだ。
今、自分にもその日本人体質の帰結が降り掛かり、身勝手とはいえ、大切にしてきたわが古民家もサポートの途がなく、壊滅の時を迎えている。







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