辿り着いた島国人の限界と可能性(2)

「隠された領域を拓く」 (クリエイティブ[アーツ]コア)を論じるセミナー開幕
前の表記テーマ(1)に続き、その(2)を。




テーマの読み込みからの解題は、今回の担当者としての自分の責任だった。
パネリストそれぞれの「隠された領域」が(1)で話されたことで、大筋の具体例は出たといえよう。建築家らしく、設計条件や環境開発にかかわる心理や意見になる隠蔽要素を示し、職能としての主体性から問うという立場である。
そこで、皆さんの意見も踏まえて自己の内に感じられたのが、明治維新から150年を経た今、腑に落ちたと思える日本人の「感性に関わる体質」だった。


この体質を「もっとも」と感じられるように、進行途中で求められたコメントで二つのイタリア滞在中の体験を参考にお話しした。何はともあれ、自分の「隠された領域」観を創ってきた根底に、このような外国体験があるからだ。


ひとつはミラノ市内で出会ったパトカーと民間車の接触事故の顛末で、目撃者や大勢の野次馬が取り囲み議論が進み、その結果パトカーの方が悪いとなじり、結局、民間人の老夫婦を見逃してしまったことだ。これは体制に対して、どんな場合でも民間側から異議申し立てをする権利と実行権がある、ということの実証と読めた。
次には、ミラノからトリノまでの小一時間の鉄道移動の間に、コンパートメントでない車両で起こったことである。
出発後まもなく近くの座席で議論が起こり、それがどんどん広がり、トリノに着く頃には満席近い車両全体の大議論になった。イタリアに来て間もなくで、何を言っているのかよく判らず議論にも加われない。降りる時にさすがに何の話だったのか知りたくなり、付近の人に「英語の判る人はいませんか」と声を掛けて説明を求めたら、「神は存在するか」 という議論だった。一つの車両がこのテーマで大議論になった光景は今でも忘れられない。
もっともミラノからトリノまで汽車で行くなんてのは、いつも使っている地元民で急いでなく、こんな昼下がりの時間帯だから何もすることがないという心理状態だったからに違いないだろうけれど。
でも日本では、こういうタイミングでも絶対起こらない、最初から個人を認め合う合議形成の場がここにあるということだろう。


セミナーの最後に、改めて話をまとめるか、自著のまとめを述べるように求められた。
そこで、隠された本当の問題が、かっての「和魂洋才」という言葉が示すような「日本人が強いられた二元の感性」にまで遡るのでは、という考えを示した。
(次回説明)