時間感覚と人生の意味

ふうッ、と思うことがある。


時間は、どんどん経つ。コツ、コツ、コツと・・・。
それは誰でも知っている。
これこそ人間には絶対に変えられない客観的な事実だ。
その中で、人間はもがく。
限りある生を最大活用しようとして。
でも、何をしたら最大活用なのか。何もしないのは駄目な人間なのか。なら、悟りを開き、読経だけして過ごしただろう空海などは?


人生の残存時間予想が見えてくるに従って、どう時間を使うのかが最大課題になってくる。
それはコスト、体力とも深く関係する、と改めて思い直しているのが今日、この頃だ。
不思議ではないが、人生を語る著名な作家などの話を読み聞きしていると、移動にタクシーで2000円かかるが、電車で顔を隠して乗り換えれば500円だからそちらにする、などという話はない。事実タクシーなら15分で体もくつろぐ。電車だと45分でその差の30分はほかのことに使える。原稿を書いていればこの30分は貴重だろう。
1500円の差をいとわないのでなければ、これは出来ない。たまにならいいが、一日に数回も移動するなら、積み上げは明らかなコスト問題になる。
経費を捻出できる収入や貯えがなければ、これが出来ない。つまりカネに無関係で人生訓を語っていても、スタッフを雇うなどのカネが生活の底辺をうごめいている。


人生に余裕がなくなると、1500円のロスより30分の時間の方が貴重になる、ということも起こり得る。30分が自分の人生をより輝かせる仕事に結びつくならだが、それは誰が知ろう。
自分のやっていること、例えば今、僕がこのブログに時間を取られていることが真に意味があるのかどうか、自分も含め誰が知っているだろうか。
(多分もう少し、継続)







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