ある中1生徒たちへの伝言

【論】  (2016/11/03:補修)



13才の少年少女に何を伝えるのか



最近、「『自分らしく生きる力を〜』夢を育てるキャリア教育」という事業を展開している吉田恵子さんの仲介で、東京近郊のある市立中学校の1年生相手(希望者)に短いトーク・イベントで参加することになり、NPO日本デザイン協会として話してきた。
時間が短いので、何を言うべきか考えたが、吉田さんも学校の希望も、いろいろの「個人的な職業を紹介」することであったようで、他にシェフや美容師、太鼓打ちミュージシャンなど多彩だったようだ。それだけにこちらには、人生の本義を語るなどという過大な期待はされていなかったといってよいだろう。
それは承知で、でも本当にやわな精神の形成期にある子供たちに、自分の生きた結果としての職業を開陳して終わるというのは、あまりのも危険なような感じがした。まして、この世界(建築・デザイン・アート系)が、拡大し、拡散し二極化しているような状態で、自分自身が職能の核を束ねかねている時、更にその背景にある、資本主義の行き詰まり、超高齢化少子社会の現実化、後進国の追い上げによる産業構造の激変などを知っていれば、この後の子供たちの未来に、勝手な過去経験からの職業を語っていていいものだろうか、という気にならざるを得なかった。
しかも、中学1年生となると話が難しい。どんな言葉で、どんな内容で、どんな例を出していけばいいのか。しかも時間が全くない。
そこで考えたのが、スライドショーでやった仕事を見せるだけで終わるが、終わりに自分が中学1年生のころ描いたノート絵の現物をいくつか見せたうえで、伝えたい想いをプリントにして渡すということだった。その資料を、以下に少し修正して添付する。配布したプリントには、中学1年生にとって重要と思われる個所にアンダーラインをつけ、出来るだけわかりやすくした。……自分でも、こういう言い方でよかったのかは不明のままだけれど。


さらに当日直前に、「生徒からの質問項目」という資料が学校側から配られ、特にその質問通りに答えなくてもいいとは言われていたが、ここにも問題を感じ、質問項目を大きく分類してこれにも答えることとした。
ここでも質問を凝視したのは、中学1年生にしてはあまりにも世慣れた質問が少なくなかったことだ。確かに、学校の要請通りに、生徒も打算的な職業診断と感じていたのかもしれないが、より深めた話にしたい以上、そのままにしておくわけにはいかなかった。
このプリント(講師の話)を上に付けて、生徒諸君にはまずこれを読んでもらい、それから以下の本題(質問への返事)に入ってもらうよう促したかった。以下に参考添付する。



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1年生のみなさんへ……ちょっと長いけれど何とか読んでね!



「考える」ということがそれほど難しく、しかも大切だとは!



最初にことわっておくことが2つあります。まずこれは、勉強ができなかったのに、今も「新しいことをしようとしているおじさんの話」です。「モノや空間を生み出す」仕事をしてきた世界からですから、特殊かもしれませんが、結局は十分一般的な話です。2つ目は、皆さんに、「これからの日本を動かしていきたい」というくらいの大きな希望を持ってもらいたくて書いている話です。で、少し難しいかも。頑張って読んでみてください。


●人口(じんこう)から見ただけでも大きく変化している日本

僕、という「おじさん」が中1の頃は、50才過ぎた人は縁側で「ちゃんちゃんこ」(昔の綿入り木綿のチョッキ)を着て、猫でも抱いているんだろうとイメージしていました。今、そんな風景は見当たりませんし、僕自身、まだ自分のやりたいことが出来ていないと駆け回っている状態です。まあ、とっくに何もしていない人も少なからずいるようですが。
これは、社会が根本的に変わってきた具体例です。特に日本の社会が。
今は女性の平均寿命が89才、男が83才とかで、病気の人もいる一方、90越えても元気でマラソンをしているような人もいて、人生2回の計算も出来ます。経験を活かしてもっと好きなことをやりたいとか、何かまったく別の事を始めたいと思うことも可能です。
一方で、日本の人口がどんどん減っています。30過ぎても未婚の男女が増えて、子供の出生率も大きく下がっているからです。この50〜60年の間に、世界に前例がなく、日本は凄いことになっているのです。これを「超高齢化少子社会の到来」と呼んで、大問題になっていることは知っていますね。もう一つ、世界に前例がないということは、これまで日本は世界(先進国)の前例を真似ていればよかったが、そうは行かなくなった。自分でモデルを創らなければならなくなった、ということを知っておいて下さい。
このように、周りがもの凄く大きく変わっているのですが、おじさんたちのように昔と比較する「生きてきた時間のものさし」を持っていない皆さんには、気が付かないことも多いと思われます。それは、実は歴史で見れば、ほんのちょっとした時間でしかないのに大変化しているのです。
そこでこそ、「ルールの見えない新しい社会」のために「良ーく、考えてみること、想像してみることが必要」になるのです。となると、今のままの「会社の約束」や「国の決まり」のままでは済まない、となるでしょう。それからさかのぼってきて、今の受験や学校はこれでいいのかとまでなり、中学生にも「これからどう生きればいいのか」まで来てしまうのです。つまり「超高齢化少子社会」の問題は皆さんの問題にもなるのです。


●コンピューターに多くを決められてしまう、これからの社会

それだけではありません。ただでさえこの20年位は、コンピューターとその活用によるインターネットの爆発的な発展で、情報の得やすさどころか、情報が多すぎるという時代になりました。
電波時代のはしりとして60年ほど前には、テレビ放送が始まると人々が駅前などに設置されたテレビに群がった、などという話も、歴史的にはつい最近起こったことだったのです。まもなく、ロボットが大進歩して、人間のほとんどの仕事を奪ってしまいそうです。脳内にチップを埋め込めば、人間の感情も左右できる時代が迫っているのです。
これからはコンピューターが人間以上の判断をしてしまうので、「人間としてやらなければならないことが大きく限られてくる」ということです。人間にしか出来ない判断だけが求められるのです。単純に暗記だけしているのであれば、必ずコンピューターに負けてしまいます。もちろん、コンピューターが好きな人はそちらに進んでください。ただし、ここで言っているコンピューターに出来ないことの意味も忘れないでください。

漫画やアニメは「見える方で」考えさせてくれますし、夢も与えてくれます。まったく新しいストーリーを創ることはコンピューターにはできませんから、人間にしか出来ない分野になるでしょう。でもそれは、これから皆さんを待っている複雑な社会を全体にとらえるには、下手をすると、そのほんの一部を表しているに過ぎないかもしれません。ファッションでも、新しいエレクトロ商品でも、新しい住まいを提案するのも同じです。
他に何が起きているかと言えば、たとえば小さい例の一つは、今日、皆さんにやってもらおうかと思っていた「鉛筆削り」です。キーボードは動かせても、手先を器用に使うことがどんどん出来なくなっているということです。ある見方からすると「新しいことやモノを生み出す手」は人間にしか、しかも努力の積み重ねによってしか出来ないのに、それを捨て始めているのです。

以上はまだ「見える方の話」ですが、普通には今の日本は目の前のことを「見ているだけ」ではとても判らなくなっています。これまでの話から考えても、知らぬ間におかしなことがどんどん出てきているのです。また「見えること」をつなげていってもなかなかつながらず、どうしても、そこに隠された「裏の秘密」があるんじゃないの?ということも起ってきています。
そのためには、知った「情報を自分で考えて判断しなければならない」のです。
そこで、なぜ「考える」、「考えてみる」などと、「考える」ことばかり言っているのか判ってもらえましたか。それはコンピューターが自分からは新しいことを考えることは出来ないことにも関係しています。次に、「人間だからこそ考えられること」の中身を見てみましょう。


●「考える」とはどういうことだろうか。デザイナーや建築家は何で考えるのか

まず、ここで言いたい「考える」というのは、「想像する」「イメージする」のとは違って、「言葉による」のだということを十分知ってほしいのです。おじさんがバカだったのは、このことを知らなかったからです。
考えるのが言葉によるのを実行するためには、ボーッとしていては使い方もわかりません。「かっこいい」「きもい」と思っているだけでは全くダメなのです。
それを修練するためには、本を読んで何を言っているのか考えたり、言葉で思いを書く、などの繰り返しで「言葉で考え(その前後で感じる)」ことに慣れなければなりません。これが勉強と言うことの本質の一つです。
ただ、もうわかったでしょうが、「考える」には、言葉で考えるのとは別に、他に「数字で考える」もあり、なんと「イメージで考える」というのもあるのです。それぞれ自分の適性に合わせて深めればよいというのがこれまでの勉強法でしたが、はっきり区別されたり、意識されたりしてこなかったのです。しかも、入学試験はこのうちの「言葉で考える」と、算数の全部と理科の一部だけが「数字で考える」、他には理科で「機能や自然法則で考える」しか使ってこなかったのです。「イメージで考える」は、今でもまったく相手にされていません。
では、それぞれは今までのところ、どんな仕事につながっているのか、面倒かもしれませんが頑張って見てみましょう。特に使う割合で大きく分けてみると次のようです(カッコ内は主な役割をする学科目です):

おもに言葉で考える――商売する人、文学や法律をやる人、経済学者や政治家も(国語、英語、歴史、社会)
おもに数字で考える――商売する人、数学者、統計学者、理科系学者、経済学者や政治家も(数学、理科)
おもに機能で考える――理系・工学系(物理、化学、生物、電気)経済学者や政治家、商売する人にも
おもにイメージで「考える」――1:視覚で考える……美術系の仕事(画家、デザイナー、建築家へ)(美術)
              ――2:聴覚で考える……音楽系の仕事(作曲家、演奏家、歌手などへ)(音楽)
              ――3:体感で考える……体育、運動競技系の仕事(スポーツ選手などへ)(体育)
というようなことになります。
ここで、いくつかの重要なことが出てきます。たとえば、おもに言葉で考えている人は、数字やイメージで考えていないことが多いのではないかとか、視覚で考えたがる人は言葉を知らないんじゃないかとか、です。自分がどうなのか、よく「考えて」みましょう。


●新しく仕事(職業)を組み返す時代が来ているのです

これが今の大人(おとな)の社会の姿で、職業がばらばらになってしまい(専門的には「分化する」と言います)、自分の専門を越えると何も言えなくなったり、判らなくなってしまう理由の一つなのです。社会がそれだけ難しく複雑になったこともあります。ふつうには、それぞれの分野の人は他の分野の事が言えません。言っている人でも本当に何でも判っている人は非常に少なく、そうなると全部が判っていないなら政治家なんてやれるわけがない、とは思いませんか。そんなことに関係なく、大人たちは働いているのです。そして一方で、コンピューターによって、多くの職業が不要になってしまうのです。
さきに、日本が大きな変化の時代に入っていると言ったことは、多くの大人がこれまでの勉強と経験が邪魔をして、何を言っても「新しい社会の姿を言うことにならない」という時代になって、行き詰っていて、どうしていいか本当にはわからないということ。それに、これからは全体を見渡せて(国語でも理科でも美術でも体育でもなんでも判る=特にある部分が秀でていることではない。もちろん秀でていてもいいのですよ。このことは後でまた触れます)発言できる人が求められている、ということを意味しているのです。

おじさんの本職を説明すると、社会に関わることが多いので、かなりむずかしいのです。インダストリアル・デザイナー、建築家という分野ですが、この辺りの職業は本当に深い意味で考えると、これまでお話してきた新しい仕事であり、新しく何かを生み出す職業でもあり、コンピューター時代でもへこたれない職業だと思います。そこには言葉で考える、数字で考えるだけでなく、「視覚で考える」や体で考える(触覚などの五感を含めて)ことを総合する仕事があるからです。でも多くの他の大人は、このおじさんたちがどんなことをやっているのか知りませんし、その分、本当に大切なこととは感じないのです。ですから、そのためにこそ「考えて発言する」という勉強と努力も大切なのです。


●自分の経験から「言葉で考える」ことの意味を見つける

なぜおじさんが「言葉で考える」ということをこれほど言うかというと、おじさん自身が25才くらいまでは「言葉で言われることを信用していなかった」ことの反省があるからです。人間関係も言葉でつながっていることが多いのです。バカでした。絵が描きたいだけの、昔からの絵描きさんに多くあるタイプです。30才過ぎになって、憲法さえも「日本語という言葉で書かれている」ことに「改めて驚いた」のです。
もう一つ、いい加減に考えていたことが「お金の動き」「人とお金の関係」です。最近の大人の社会はある意味ではお金のことばかりで動いているので、それだけに、逆にお金で考えるといろいろの事が判ってくるのです。将来の勉強として、段々とお金と自分の関係を「考える」ようにして下さい。
最初に言ったように、これは変わった人の話のように聞えるかもしれませんが、ここまでわかれば、これからの勉強に強くなります。


ではちょっと、おじさんの話をしましょう。絵が描けて美術展で賞を取ったり、中学、高校でも美術部の部長でした。理科の先生はノートに絵を描いて説明しようとしている僕を見て、「これでも何かになるのかなぁ」とあきらめたような口調で言いました。親は「絵など描いていても食べていけない」と反対。それだけでなく自分でも「絵を描いていてもだめだ」と知っていました。それでも家でも隠れてノートに絵を描いていました。中学、高校と受験校で高校3年の秋まで普通の勉強をしていましたが、卒業真近かに成績が上がらない分だけ自分の才能に改めて気が付いて方向を変え、ほとんど受験勉強せずに美術大学に合格しました。それでいい気になり、社会へ出てから大きな壁にぶつかりました。「イメージで考える」という自信だけで社会へ出てしまったのです。感覚的には「そうではない。こうだ」と感じても、それを言葉で説明できず、説明できても「それでどうするんだ?」という「考え」がまとまらず、どうしていいかわからなかったからです。それからやっと「言葉で考える努力」が始まったのです。でも、読んでみた本にしても、「言葉で考えるだけの人たちばかりの世界」では、何を言っているのか判らなかったり、自分の気持ちに合わないものばかりだったのも事実です。

今、振り返れば、ここから社会を見渡して考えを言えるようになるだけで、30〜40年掛ってしまいました。
もうわかったでしょう。反対に、「言葉で考える」ことだけに慣れた人の多くは「イメージで考えること」を知らないのです。これを広く言うと、言葉や数字で考える多くの人は、美術やデザイン(漫画やアニメもファッションもです)など見えるものの美しさや魅力は感じたとしても、「イメージで考えたことがない」ために、それが大切なことだとは思えないのです。このことは日本を動かす多くの大人に当てはまります。木々のそよぎ、清流のなごみ、猫ちゃんのかわいさはわかっても「社会にとって本当に大切な問題だとは思えない」のです。でもそのことは単純ではありません。言葉で深く考えだすと、意識(おもに考えたり、思ったりしていること)と時間が言葉に取られてしまいますし、同じことがイメージで考えることにも起こるのです。人生の限られた時間の中で、両方を深く理解するなんてことはたいへん難しいのです。バランスを取ることに社会が価値を与えていれば、少し低い理解でも高い評価が得られるのですが、日本の教育と社会はそうなっていないのです。
もう分ったでしょう。日本は、この結果これまで、ある世界からは「文化的にレベルが低い」と言われてきた理由がここにあるのです。
まずは、それぞれの分野での知識を深めないと今の社会では通用しないから、普通はそれで人生が終わってしまいます。今の大人の社会には、もう一度「考え直さなければ」ならないこととか、新しい時代に合った「やるべきこと」「やってはいけないこと」に気が付くことがたくさんあるのです。それが最初に言った「会社の約束」や「国の決まり」でさえ、もう一度「考え」、良くしていかなければならない時が来ているという意味です。
 「言葉で考える」ということは、しっかりした経験とその反省があって、初めて自分の言葉になるわけなので簡単ではありません。これから十分学んでいく意味があるということです。


●教わっていることの中に「言葉で」意味を見つけ、別に、自分の特技を見つけ、磨くという当たり前のことをやりましょう

話したようにおじさんは、デザイナーとなり、そのあと建築家にもなり、団体を動かしたり、大学の先生にもなって今日まで来ました。そういえば、イタリアという国で10年も仕事をしてきていて、「日本を外からよく見てきた」という意味でも珍しい方の人だということも付け加えておきましょう。
そういう経験から、締めくくりに3つの事が言えそうです。まず、おじさんのような人が皆さんに、「これから新しい時代の始まりになります。仕事も新しくなります」と言っています。次にデザイン、アニメ、ファッション、建築、まちづくりなど新しい仕事を「本当の社会の力」にしていく役割は、若い皆さんの努力に懸っていて、そのためには何と「言葉で考える」ことも大切であるということ。3つ目は、それでもやはり、まず専門となる好きなことで頑張って、自信を失ってはいけないこと、です。
いい高校、いい大学に入ることだけが人生の目的ではありません。そういう意味で大いに勉強して新しい日本を創って下さい。それでこそ皆さんの将来には、「視覚で考える人」がはるかに優遇されているかもしれません。


日本を新しくしたくて、できることで頑張っている、大倉冨美雄(おおくらふみお)おじさんから。

2015(平成27年)1月30日           NPO特定非営利活動法人日本デザイン協会:理事長)
                             (有限会社)大倉冨美雄デザイン事務所:代表





【生徒からの質問リストに答える】


皆さんの質問にまとめて答えます。


時代が大きく変わりつつあるので、未来にも通用する質問と、今しか通用しない質問、それに資格の問題に大別します。
今しか通用しない質問は、皆さんが社会に出る頃にはまったく意味が変わっている可能性が高いうえ、人によって事務所によって、年度によって、更には仕事の内容によって答えは0〜100%全く違うので、このおじさんの場合を考えても一般性が無く(つまり意味がない)、答える意味もなくなります。


●未来に通用する質問

○なぜ、この仕事を?  好きだったから
○何歳位の時、この仕事を決めようと?  15才まで:方向が見えず。18才:デザインで。30才で:建築もやれる。ただし「この仕事」が何を意味しているのか話し合っていませんね。以下の2問も同じような意味で、「この仕事」によって答えも変わりそうです。
○楽しいこと、つらいこと  商品が出来たり、建物が完成した時。お客さんとの間がうまくいかないとき。
○失敗  お客さんとの間がうまくいかず喧嘩になった時。
○大切なこと  社会の未来をよく見つめていくこと。そのための勉強。経験を深めること。一緒に配布した「考えることがそれほど難しく、しかも大切だとは!」の資料もよく読んで参考に。
○家を建てる時の工夫や注意  1)家そのものについて:光・風・雨・緑・遮音・人の動きと部屋の役割・パブリックとプライバシー・構造・耐久性・コストなどに注意  2)家を建てるための条件について:敷地の条件・工事期間・建てる値段・お客さんお好みや家族の事情(人数、年齢、趣味、価値観、勤務形態、夫婦の関係)など
○間取りの決め方  上のすべての条件を考慮して優劣順位をつけ、経験や知識を加えて決める
○家のデザインは楽しいか  楽しい
○ベランダは太陽に向いた方向か  敷地や周囲の事情によって変わりますが、基本的にそうです
○街中で自分のデザインを見たとき  いい仕事だったときは安らかな気持ち
○デザインのテーマはどこから思いつく?  建築の場合は、その地域と敷地の特性から。商品のデザインは作る会社の考え方、市場(売っている世界)の様子(何が売れそうか、何が新しいかなど)、創るコストや売れる値段などからの総合で考える。
○建築デザイナーに向いている人の性格  知識の総合力とその発揮、良い感性と深い教養


●資格の問題

建築家だけには、建てる大きさや種類によって「1,2級建築士」国家資格試験があります。特に1級は基本的には大学の建築学科などを出て何年かは経験を積まないと受けられません。
中高時の勉強は、国語、数学、理科、歴史、デッサンなどを。資格試験には「建築基準法」をベースにした専門的な知識が必要になります。知識は得ても資格は取らず、資格者を入れた会社を創って動かすような人もいます。
デザイナーの方は国家資格はありませんが、その分野の人たちが作った「団体の資格」のようなものはたくさんあります。


●「今しか通用しない」質問や、事務所によって全く違うので意味の少ない質問

建築家で難しいことは何か/家をデザインするときに大切なことは/リクエストされた家を創るのは大変か/海外からの依頼は/1年間でどのくらいデザインするのか/外国機関との交流/設計図完成の時間/年収/仕事時間/社員数/一番費用の掛かった建物/何軒の家を建てたか/



(2015年1月30日 ○○中学校講義  大倉冨美雄:NPO日本デザイン協会)




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