職業選択の難しさ

【日記】   ●印に注意を求む/●●●記事の再修正:下欄の8月26日としてあったところは6月26日の誤りであった。訂正します。(2015/08/21)




職業には積み上げ型というのがある。
練習すれば、数時間から数日で仕事に就くことができるものから、訓練してもなかなか身につかない職業までたくさんある。


そう考えると、まず適性があり、その上でも10年位は経験が必要であり、かつ相当の技術的知識が求められ、そこにさらに社会人的な経験の積み上げが求められる職業と言うのは、そう簡単に手に入るものではなく、その分、高い社会的な評価を得てしかるべきだ。
逆に、このような職業は、本人の成長に従って適正度が明らかになってくる面が強く、早い時期で資格試験などでフルイにかけてしまうと適性どころではない暗記知識などで資格を与えることになりやすい。やっと「これは自分の仕事に合っている」と納得した時には、時間も金もかかる受験勉強どころではなかったりする。
「建築家」という職業があるのなら、まさしくこの職業はこの種のものの典型だろう。
「あるのなら」と書いたのは、何度も言うがまさにこの職業が「輸入職業」であって、日本に本当には根付いていないからである。つまりデザイナーと同じで、職業分類にない(と思われる:要確)からだ。
この問題を加えると、何重にも渡って、「建築家」という職能の持つ、難しさを感じさせる。
特に若者にとっては、直感的にこのことを感じているだろうだけに、改革を求められる国家的な問題である。


6月26日に、このブログで書いた記事「建築家?建築士?そしてオリンピック」で、後で掲載するとした「登録建築家」なる問題の所在も、「建築家」の組織と考えられている日本建築家協会(JIA)の持つ矛盾や悩みを現していて、実はこれらの問題の上に立っている。加えて、行政の都合と大企業中心の現社会体制の流れが「至近の現実対応で精いっぱい」という状況を生み出しており、いわばそれらの「成果案」なのである。


●先ほど、6月26日の記事欄に戻って、この問題の、あえて言ってみれば「摘発のために書いた」原稿を添付した。(19:15)