終わる平成29年への覚悟

追記あり 12/27 16:30



4時というのに、もう夕陽。
その光は付近の中層マンションに隠れ、たなびく白雲を紅く染め出した。
家に帰ってきて、久しぶりに窓からの青空を眺め、しばしボーっとする。
その美しさは何にも代えられない。
想い出してCDケースから見つけた、アルビノーニの「アダージオ」をかける。
ふっと、イタリア時代の緩慢だが心にゆとりのあったと思える生活を思い出した。
あれは若かったからだろうか。
それとも、今の日本人が追い詰められているからだろうか。
デジタル化する社会は、自分らしさを失わせていないか。ということは、人間らしさを失わせていないか。
世界中がそうなのか。それとも追い詰められたと感じる自分の問題か。
確かに日本人は一般に、食って生きるだけからも、低い階層を駆け上がるだけの競争からもだいぶゆとりを得てきただろう。
明日起こるかも知れない大天災と、必ず来る死を怯えることを除けば。
世界中の難民のことを思えば、一層その実感は深まる。
それなのに、それだからこそと言うべきか、言いようのない空しさが身に迫ってくる。


科学は信じられない発展をした。何事も有限と知れば、太陽も地球も必ず滅びるのだろう。その時に他の星座系の衛星に移住する気でか、天文学者は必至で地球と同じような組成の星を捜していて、最近見つかったという。
そこまで行かなくても、100年後、200年後、1000年後の人間の生活はどうなっているんだろう。
当然、AIの大発展が生活環境を一変させているだろうが、AIに学びきれない領域は残っているのだろうか。
100年で車の転機が見えたということは、次の100年で四輪ならぬ四プロペラのドローンが生活の脚になっている可能性はある。とすれば、街づくりも、流通経済も全く変わっているだろう。
日本は人口減少を抑えきれず8000万人を切り、異文化との融合を図らずには存続し得なくなっているだろう。かといって、欧米の移民の現実を知っていればこそ、学ぶことがあるはずだ。一方、医学の発展は、中年期以降の健康維持システムの定着により、人生120才などと言われているかも知れない。そうなればますます人生の意味を再確認した、あるいは意味もなく生きる高齢者で街は溢れている可能性が高い。
モノ溢れの現在から見ても、「モノの生産」は経済の中心を去り、心の安らぎ、楽しみに軸足を移していくだろう。
そういう意味では100年後でも観光の魅力は失われず、それが設備の高度化とドローンのおかげで、信じられないような絶景の地でしばらく生活したり、といった展開も可能となるだろう。日本のような国は、歴史の魅力の伝達と合わせられれば、過去の遺産を国際的な魅力として生かしていくことも可能だろう。


これらのことは、無責任なことを言って楽しめるからそれでいいが、こういう未来との大きな端境期に、では今、何をやるべきかとなると大きな問題に直面する。経済のシステムも産業構造も今の社会では、個人ではほとんど何も変えられないし、もし官僚が変えることを知っているとしても、体質依存と責任放棄の世界では小さなことしかできず、機の熟すのを待って時が過ぎていく。政治家の多くは志が無く、ヴィジョンの構成力もない。時代が読めていないサラリーマンのようなものだ。
個人には、その育ちの過程で身に着けた社会への認識があり、それは産業の再編や融合を求められる現在に、単純に対応し切れるものではない。
それを承知で、そういう中で、個人にできることを見つけていかなければならない。
今、自分は何をやろうとしているのか。改めて問われる時に来ている。
それが身に覚えのある、塗ったり、削ったり、組み立てたり、写したり、あるいは言葉で表現したりという行為で表現し切れるものではない、と思うところが空しいのだろうか、と思う。



⚫待てよ、でもまだちょっといい足りていない。個人に出来ること?、塗ったり、削ったり? で言い切れていないのではないか。
どうも、二つのことに収斂しそうだ。
一つは個人では何も出来ないと言いつつ、その個人の思いの集積で何とか出来ないのか、何もしなくていいのか、ということ。
もう一つは、現在のカネの権力への如何ともしがたい 無力のことだ。
どちらもカネに支配されている。カネが無くとも何とか出来るのは個人だけでやっている、ほんの小さいことだ。大きい事をやろうと思えば、やはり然るべき軍資金が無ければ人は動かない。
現代はどんなに末梢の市民でも、経済効率はそれなりに体内化されている。全く 無償の行為なんてどこにもない。維新後の西郷隆盛薩摩藩の行動など、今では考えられもしないだろう。
マスメディアを 見てみればいい。儲かる情報には制御も効かずに付き従う。社会一般に、どんな行動でも利益が出なければ、付き合いは殆ど儀礼以上を出ない。ここで二つのことが接点を持つことがわかってくる。個人出来ることは、大きな資産でも無ければ限りがある。 何か出来るところは、従う人材を持ち 、収入の構造を確保している。それは今の社会が求める変革なんかではない。j
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