閑話休題

気分を変えて……「越後・親鸞」と聞くと…


最近のフェイスブックなどを覗いていると、皆さんが自分の私的なことだけ書いたり、画像化している。
僕にはどうも、たじろぐ気持ちが強く、書けないし、あまりいい気持がしない。なぜだろう。つい見てしまう癖に…。


なにかやった、どこに行った、誰に合った、こんなものを見た、更には、こんな記憶がある、こんなことをやっていたなど様々だが、個人の主張が悪いのではない。ただそこには何か、自分の記録を残しておきたいという思いを許す何かがあるようだ。それはある意味で、情報過多のこの時代に、人の情報までに巻き込まれて生きる問題がありはしないか。


記録に残すことが意味がある人が書くならいい、でもそういう人は非常に少ないのだから、いい加減で諦めたほうがいい、とは家内も言っている言葉だ。でも、そのような個性的な人(スペシャリストとも言おうか)はどんどん消えている?
誰でもが情報を簡単に共有できるようになって、スペシャリストという一般概念が消えつつつある、とはこの間の集まりでも出ていた。人の情報を貰って、自分の話に組み込んでいく時代を考えると、この流れでも何か、新しい文化が生まれるのだろうか。
ネット情報の集積が何かを生み出すとすれば、今、バンバン自分の事を表現している人は、もしかすると前衛的なのかもしれない。


では、僕も、ちょっと書こうか (この気の弱さ=苦笑)。


ほとんど見ることも無かった「大人の休日倶楽部」というJR東日本の広報誌に、パラっと見たら「越後に残る親鸞の足跡、庄内に生きる蓮如の記憶」という特集があった。
実は僕の父親は新潟県柏崎市の生まれと育ちで、それがあってか、親鸞のことなどはよく口にしていた。
過日、売った小田原の実家には、親鸞蓮如などに関わる書がたくさんあった。でもそれをほとんど、売ったり、寄付したり、廃棄処分にしてしまった。
自分の残された人生の中で、親父が経験し、体内化しただろう価値観を共有するまでの余裕が無かった。
実は父親とは、ほとんどコミュニケーションが無かったのだ。
定年になるまで、日本橋の繊維会社に勤務していて、朝起きると、もういなかったし、夜は8、9時の帰宅。あるいは営業で全国を飛び歩いていたから、月の半分は自宅から通っていなかった。


子供の頃からヨーロッパに憧れていた僕は、父親の関心ごととは全く関係なかったのだ。
今になって、親鸞の足跡を追う旅の案内などを見ると、改めて胸が締め付けられる。
越後に行きたい!という気持ちになる。
父親とは残念だった。もっと、身辺事情を聞いて置くべきだった、という気になる。そして、この百年はあまりに大きな価値観の激動があった時代だということも感じられる。
こうして、急に高齢化が進んだ自分を意識することになる。




・345273 10/13 01:10