「右脳いかす『デザイン経営』」

本当に、どこまで感性価値を体内化できたのか




「…創造力のある人材は日本には多いはずで、それを競争力にどう結びつけるかが課題」(ボストンコンサルティンググループ御立尚資シニア・アドバイザー)
全く、その通り。でもそれが「課題」であるように、方法も策も全く解っていないのが現実だろう。この社会の仕組みの中で出来上がった個人の内面感覚と、社会の規範は簡単には崩れない。そこからは本質的な変革は起りにくい。


「右脳いかす『デザイン経営』」というタイトルを見て、思った。
日経新聞でも、このような大きな記事を出すようになったか。(10月12日、"Deep Insight" 中山淳史/本社コメンテーター)

趣旨はよくわかる。まさにデザインの時代ではある。「損保デザイン」などと聞いた時から、「デザイン」は完全に拡散したと承知したが、「計画」という概念を優先させていれば、このような使い方はどんどん増えるだろう、と。そういう背景もあるが、それとは一応別に、日経紙が「デザイン経営」とは(期待していなかった。嬉しい話、という意味)。


そもそもこの記事で中山淳史氏が言いたかったことは、日本企業の「技術はなお世界一の水準にあるのは確かだが、株式市場の評価ははかばかしくない。純資産と株式時価総額を比べたPER(株価純資産倍率)」が低く、「トヨタが『解散価値』の1倍すれすれ、日産とホンダはそれぞれ0,7 倍程度と、解散価値を割り込んでいる状態」で、「なぜ、投資家の期待値は低いのか。経営者の言葉や戦略に『車の未来を引っ張るだけのビジネスモデルやビジョンを感じにくい』ということだろう」だった。


当然、米アップルの「製品のすべてに『自由になるために知的に武装する道具』というある種のストーリー性、文学性を織り込み」、「『カウンターカルチャー(既存の体制の枠外から生まれた文化)の申し子』との企業イメージを定着させることに成功している」例などを比較に挙げている。
これらの企業は「みな似ていて、経営幹部にデザイナーを置き、そのデザイナーたちが研究開発や財務にも精通していて、デザイン目線で技術と経営をつなぐ重要な役割を演じる」という。


この後、「サイエンスからアートに」「理論・理性から感性・情緒へ」と、リベラル・アーツ(教養)の考え方に流れていくべきことを認めている。


まったくこの考え方が、最近の自著「クリエイティブ〔アーツ〕コア」に一致しているのだが、産業界からの反応は全くない。(もっとも内閣府知的財産戦略推進事務局長からのお褒めは受けているが。広報能力の不足はもちろんある)。
その意味では中山氏の指摘は、日本の現状を深く突いていると言えるだろう。
ただデザイナーの方にも、試されていない能力はあっても、起業家が善意を持って寄ってきてくれなければ、感性的な弱さからたじろいでしまうという傾向はある。実際、創造性への理解と論理性(財務会計など)はむしろ相反する概念であって、一人のうちでの統合は非常に難しいのが現実だ。どんどん売り込んでいるデザイナーは、本質的な意味でちょっと怪しいところがありそう、という言い方も可能なくらいだ。
そんなことより何より日本の経営者のほとんどは、教養や文化としてのリベラル・アーツが体内に無い。デザイナーに寄りそう気持ちなど全くないのだ。孫正義会長と豊田章男社長にこの本を贈ったら、本質を突いた返事が貰えるだろうか。あり得ない、としか思えない。
40代以上の若手だってそうだろう、教育を変えてあと30年くらい待たないと。当然、その間に新興国にも追い越される可能性も高い。
その理由は明治維新に遡るとは言ってきたことだ。







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