マルセル・デュシャンとは

【追記】を始めています。  ● 最新は11月7日。




現代アートに釘を刺した男。



自分にとって 「だいぶ近付いてきた男」 と言えるだろう。
最初のうち家内は、「この人、ホモなんじゃない?」 と言っていたが、展覧会を見終わってから、「そうじゃなかった」と(笑)。
マルセル・デュシャンは長い間、自分の価値観に合っていると思い込んできて、そうなると、もうそれで終り、という関係だった。


昨日、国立博物館で開催中の「マルセル・デュシャンと日本の美術」展を見て、確認することが多かったと共に、誠実な展示に共感と納得。いい展覧会である。
展示物にはある意味で唐突な感じのするものが多く、しかもメモのようなものも多いし、説明文の分量が多く、しかも文字が小さく、その部分がうす暗いところもあり、読み込もうとすると時間がかかかる。外国人も多く、フランス語が聞かれた。熱心に読んでいる人が多かった。さすがにデュシャン・ファンはいるんだね。


こういうことを言い出していても、デュシャンの実態を説明することは難しい。デュシャンデュシャンでしかない。
カタログや、読んでいないインタービュ記事をまとめた本などを買ったので、この後、例によって、ここにメモ追記していければと思っている。
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【追記1】 :10/30 17:00

別にフランス人でなくたって、一回限りの、自分の人生の意味を見つめる人はたくさんいるだろう。
ある意味ではアーティストの全部が、この想いに取りつかれていて、それだからこそアート作品を生み出しているともいえる。
そういう意味ではデュシャンが特別なわけではないが、そこからの「他のアーティストと同じことはやらない」、という信念ともいえる剛直さが見えることは、誰にも真似ができることではなさそうだ。それはどこから来たか。
新しく知ったことは、キュービズムの絵描きと彫刻家という、どちらもアーティストの二人の兄が居て、彼らを追うような少年・青春時代で人生が始まっているということだ。このことは、どこかで違うことをやらないと、いつまでも兄たちに従うことになるという、心地よいかもしれないが、圧迫感もある心情を乗り越える原点を形成したと言えそうである。



【追記2】 11/02 17:00

デュシャンの、徹底して自分を客体化してみる位置に置く、という態度は普通のアーティストには難しいことだ。
「こんなことが好きだから止められない」というのが創作の原点であるようなアーティストがほとんどだろうし、それは主体的な感性から離れられない状況を作り出している。自分の眼を越えて脳裏でアートの機能や時代的意味を考えて創作をするところにデュシャンらしさがあるだろう。
それが判れば、如何に鑑賞者の存在が問題になるかも当然、判ってくる。1957年にヒューストンでの集会報告で彼は、こう言っている。レディメイド作品をアートにする仕組みが説明されている。


「要するに、アーティストはひとりでは創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造行為に参与するのである」(原出典:平芳幸浩京都国立近代美術館編「百年の[泉]――便器が芸術になるとき」LIXIL出版の「マルセル・デュシャン全著作」p286。この引用は「マルセル・デュシャンとは何か」平芳幸浩著:p102より)
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【追記3】 11/04  02:45

人には習慣になってしまい、つまらないことでも止められないことがある。
例えば自分の例でいえば、設計した自邸の浴室の壁を檜の板張りにしたが10年も過ぎると当然腐りかけてくる。それを防ぐために板目の見える薄いオイルペイントにした。すると当然、入用後にシャワーの水などが水滴となって残ってくることになったが、それも滲み込むのでないかと気になった。
そのため、今度はそれを最後の入浴後にふき取る癖がついてしまったのだ。
馬鹿な事をやっていると思いながら、出る時に気が付くとタオルを壁に向けている。


デュシャンは自分でも怠け者だと言っていたが、確かに毎日、少しでもキャンバスに向かうような、ある種のバカ正直さは全く無かったようだ。
というより、むしろそのような習慣的な創造行為をまったくバカにしていたのではないかと思う。事実あの産業エポックの時代、歴史的には誰かがデュシャン的行為をすることが求められていたのは明らかだった、と思わずにはいられない。
その時代を認識する分、彼は、いつも脳裏を駆け巡る思考は働かせていたのだろう。
今、自分にとって、小さいけれど大きな課題の一つが、このような習慣を自分はどう扱おうとしているのか、ということだ。時代を変えるようなアイデアもないならば、習慣的行為の意味も捨てたものではないという気持ちも大きくなっている。あるいは、変革を容認するデュシャンの居たような時代はとうに終わっていて、今は変革の整理期、あるいは新しい提案期はないか、という気もするのだ。なら仮にせよ、着地点を定めて日々、創作するということもあるか。
これまで、この国では、習慣によるあらゆる行為の練成こそ技術どころか、人間の知性まで高めるかのように喧伝されてきたし、国民的にもそのように理解されてきたと言えるだろう。
それは確かに乗り越えられている。それに迎合するのでなく、何を習慣化するのか、を自己内で判断して体内化していくということだと思う。それにしても、結果として「ゴミになるような習慣的創作」にならないよう努めることの難しさは変わらない。これこそデュシャンが教えたことではないか。
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【追記4】 11/07 01:00

それにしてもデュシャンの仕事に、エロスが満ちていると思われるような評論や解釈が多いことが判った。
機械化しようとするようなそれぞれの表現に、エロスなど全く感じなかったのだが。
モナリザにひげを付けた作品のタイトルが、その意味を持っているとか、階段を降りる裸体という作品も、そのことで非難を浴びたとか言われているが、少しも裸体、つまりエロスは感じない。
もっとも、最後の「のぞき見」をする作品(それぞれタイトルは調べて後記)は明らかに人間(男だけか?)の性欲をそそるような構図になっていて、そうなると、エロスがデュシャンにとって終生の主題だったのか、という気もしないではないが。
言えそうなことは、それぞれの作品に、タイトルだけに留まらず考え方の解説のようなものがメモ書きされていたようだし、仲間を使って他人事のように自分の考えを伝えるといったやり方で、言葉を重要視していたことが感じられ、後世の批評家はその言葉に振り回されているために、エロス的視点が多くなったのではないか、ということだ。
典型的なのが、あの大ガラスの作品だが、これは後で検討しよう。
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