デザインの終わりの次

デザインの終わりが進んでいる。

デザインの再出発はあるのか。

これまでどれだけデザインの問題に悩まされてきたことか。 カタカナ言葉が示す問題の大きさは簡単には説明できない。

問題の多くは、芸術の解体と科学的合理主義の行き詰まり、それに経済万能主義の接点にあるだろう

それにしても芸術の解体は大きな悩みである。

マルセル・デュシャンが体験し、体現した世界観は今でも続いている。多くの芸術家が、ありとあらゆることをやっているが、どれも納得できるような仕事ではない。

つまり、芸術は終わっている。

 

一方、科学もAI時代の取り込みで、すでに人智を越え始めているが、本当にはどこまで人間に置き換われるかはまったくの未知数だ。

数日前、孫が生まれて赤ちゃんの表情や皮膚感覚、体温や体重に触れてきたが、こんなことがAIに出来るわけがない、と信じたい。このことに感動したが、それはやはり人間の神秘である。

カネを儲ける、有名になる意外に、何かやる目的を持ちたい人にとって、そうなると、今、やるべきことは何なのか。

デュシャンが、かなり長い人生をチェスに打ち込んで過ごしたと知っているが、その事の深い意味が伝わってくる。

それにしても、とまた言うが、そういう社会認識になれない日本社会の現状には、やはり気が滅入る。

どれだけ、稼げたか、どれだけ知名人であるかによって人生を判断されるなんてまっぴらだが、今後とも、それに眼を向けて生きている人ばかりで創るような社会であるなら、何とかしなければならない。