やはり事業への経済的サポートが必要だ

建築家やデザイナーは、自活出来る職業と思われているのだろう。

当人たちも自分の努力で稼がなければならないと思っているのが現実だ。とすると、有名、無名を問わず、自助努力による稼ぎ高の多い方が優秀だという視点が出てくる。

一方、音楽家のことを考えてみよう。音楽家の場合、家庭教師位しか収入の途は無いのでは?(どちらの職能も企業・団体所属、教職などを除く)。つまり収入が予定される職能ではないのだ。どうやって本業で食っていくかについては、演奏会やコンクールで名が出るなどして、何らかの手段や方法で有名になるしかない。そうなれば客やスポンサーがつく。

その売れるか売れないかでの落差は建築家やデザイナーの比ではなく、はるかに厳しく現実的だろう。当然、基本的に芸術的資質と表現の才能が有って、それを生かす努力もしているレベルの話だが。客やスポンサーを見つける出発点からの意識と努力意識レベルは比較にならないかもしれない。諦めるのも早いかもしれない。

今、日経新聞の「私の履歴書」で、わが国でのインターネット業界の創始者と言われる鈴木幸一という人が書いているが、音楽家からの取りつかれ方が判って面白い。この人自身が「日本最後の変人・奇人」と自称しているが、経済界にこういう人が居てくれたおかげで、音楽家も大きな事業が出来るようになったというわけだ。(浅利慶太小澤征爾に詰め寄られた話。もっともご本人も音楽好きで、若いころ、ソ連監視下で沈んでいたプラハでの体験から、「いつか東京でも市民が悲しみや喜びを分かち合える音楽祭をつくれたら」と思っていたとのこと。2019/10/30記事)

振り返って我々は(というより、結果として受け入れたかどうかは別として、この社会全体も)、建築家やデザイナーを一方では「稼ぐ事業」とみなし、他方では「アーティスト的役割」に振り分ける。結果として、どっちつかずのいい加減な精神職業に陥りやすい。

こうして我々はスポンサーを見つけるのには出来処次第だし、必死の努力をして来なかった。いいことをやっていれば客は付くとの安易な考えが主流で来てしまったという実感がある。

これからは第二の人生として、社会的要素の大きい「NPO日本デザイン協会」を生かすように、公のためにやるべきことを経済的背景について真摯に考え、納得のいくように訴え、行動に移さねばならないと思っている。そのためにも、それもあって、サポート企業を求める必要も意味もあると思う。