おかえり/美しき明治

昨日21 日、府中市美術館に行き、「おかえり/美しき明治」という展覧会を見た。

今頃になって初めていく美術館。車で予定していたが、家内が行かないと言い出し、それなら最近、健康を兼ねて改めて目覚めた電車で、と思ったが、京王線などに近年ほとんど乗ったことがない者としては、異常に遠く感じてしまい、本当に見に行くのか、と思ったほどだが、ついに行ってきた。

印象は立派でとてもいい美術館。東府中駅から公園を歩いて行ったが、快晴もあって気持ちよく、とても豊かな気持ちになった。府中はいいところだ。

僕がこの展覧会に、明治の小絵画に、それもほとんどが小さいこれらの水彩画に拘ったのは何故だろうと、後になっても整理が難しいが・・・

そこには我々が忘れた明治があったのだ。

事実、「お帰り」とあるように、ほとんどが近年の個人コレクターの外国からの買戻しによる作品だそうだ。

そこに我々が忘れて放置してあった明治があった。黒田清輝高橋由一、浅井忠、和田英作、三宅克己、大下藤次郎などは学生時代から知っていたが、50代ごろになって五姓田義松や百武兼行を知って驚いた。そのころから渡英仏、渡米の日本人画家がかなりいたのではないかと思ってきたが、その実態は判らなかった。それを暴いてくれたのが今回の展覧会だった。

特に今回主役を与えられたとも言える笠木次郎吉や、鹿子木孟郎、吉田博などに妙な共感とも美を感じてしまった。素直な水彩画と言ってしまえばそれまでで、歴史を変えるような制作をした訳ではない。しかし、そこには明治の、つつましく、優しく、自然に密着した生活風景が盛り込まれていて、忘れかけた日本人の居場所を再確認させてくれたと言える。それに加えて、信じられないような水彩画技法の体内化。あの時代、多くの画家が日本画から抜けられずにいたと思っていたが、ここに登場する30人位にもなろうか、そのほとんどが巧く習熟して達者であり、多くがアメリカや英仏、あるいはアメリカ経由での渡欧も成し遂げていて、長い者では10年近く滞在していることが判った。

でも、勝手な推測だが、これらの渡航者のうち(この展覧会に出品されたラッキーな画家を越えての話である)、どれだけの者がちゃんと帰国したのだろうか。かの地で夢を失い客死した者だって少なくなかったのではないか。それを他人事と思えないのは、同じように日本を離れた自分の人生体験に密着するからだ。

 

これらの絵画のうち日本で描かれたものは在日外国人に持ち帰えられたことによって、日本の美しい姿を国外に定着させる役割も果たしたのだった。

そんな意味も込めて、歴史的資料としても忘れかけた明治の日本文化を再確認するよい展覧会だと思った。我々が忘れてはならない、日本人の本性がここには現わされていると思ったが、どうもそれが感情的なままでそれ以上、論理的に説明できない。 12月1日まで。

(12 月5日追記)