失う家具への想い 

失う家具への想い                         


「何ったって、脚が4本あるからなぁ」とミラノでの師、カルロ・バルトリは僕に向かって呟いた。
家具、特に椅子のデザインについては、バルトリ事務所でその面白さを教えて貰った。カルテル社のための全プラスティック成型による椅子は、彼の簡単なスケッチを元に僕がまとめたものだ。1971年(昭和46)だった。その後、帰国しても少なからずの家具をデザインし、生産に廻ったのはこの時からの経験が大きい。
あれから48年か。当時に比べて家具への想いは変わった。


椅子の面白さと難しさの核心は「足が4本ある」ということだ。3本足、5本脚もある。スツールのように1本脚のように見えるもの、樹脂や合板で構造面を造って「脚」にすること(そういえば、天童木工に提供したデザインの一部もそうだ)や、布で包んで脚にしてしまうのも、あるいは空気袋のようなものも、あることはある(一応、アートとしての奇想天外な素材を用いた一品制作的な仕事は考慮に入れない)。それでも持ち運べる機能椅子の基本は「当面」4本脚だと言っていいだろう。これが椅子の空間構成の基本問題を規定する。人体と接触する「座るという機能」があって、立体である。人力で持ち運びが出来なければならない。素材や構造、工法は後の問題である。それに面白いことに、日本の伝統の中に椅子の生活は基本的に無かったという問題もある。
モダンな家具が生活の主流に入ってきたのは、戦後の文化住宅の流れと期を一にしているだろう。
ここから、この手ごろな「機能のある立体(彫刻?)」の魅力に取りつかれて、多くのデザイナーや建築家も椅子をデザインしてきた。言い換えると、戦後の生活の洋風化とともに、デザイナーという職業も住空間の形成という仕事の場を得て、育ってきたと言えそうだ。
その頂点は1970〜90年代にあったのではないだろうか。
ソファなどまでに視点を広げれば、歴史に残りそうな少なからぬヒット商品はこの時代 (当然、イタリアの方が早く60〜70年代)にミラノ・サローネに出されたものである。
一方、これらの下地には、チャールス・イームズなど家具で著名になったデザイナーもいることから、家具がデザイナーの成功のある独立した分野だと見なされたこともあった。また工業製品材料の発展から、マルセル・ブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビジュエなどが金属家具をデザインして新風を播き起こしたことも、独自の創造性を表現価値としながらも機能性を持った芸術の価値分野として認知されるようになっていた。このようなことが自分でも、家具で成功すればデザイナーとしても成功することになる、という思い込みを植え付けられた時代でもあった。


しかし今や、機能を持った椅子のデザインは、その表現がが限定されている分、あまりにもいろいろの細かい造形が試みられ、歴史的価値などではなく、バリエーションの集合体のようになってきてしまったのではないか。
考えてみても、毎年卒業制作をするデザイン系大学生のテーマが家具である場合だって少なくないのでは、と十分予想出来る(もちろん、面白いという選択だけで、商品化レベルの判断ではないとして)。機能が明確ながら限定されているということは、椅子の造形的バリエーションはいくらでも出るが、オリジナリティの発揮は非常に難しいことが判る。
バルトリも、「プラスティックのように新素材が出てくる時がオリジナリティのチャンスだ。他の時代は難しい」と語っていた。
こういう時代になってくると椅子のデザインも「覇権の夢」が消えてくる。
僕が、誰にも負けない発想力と造形力で椅子のデザインをしてやる、という自負を持ってある時代を生きて来たとしても、気が付いてみるとその意欲がどんどん萎えていったのはこのような時代背景によるのかもしれない。
練りに練って質のいい椅子をデザインするという可能性もまだまだ十分あろうが、オリジナリティで世間を驚かすような仕事は「当面(ということは半世紀位のタームを考えている)」難しいのではないか。
家具デザインの全盛期は過ぎた。そう思ってしまうのだ。
残念だが、設計の役に立つと思って集めてきた多数の家具カタログを断捨離整理していて、そう思わざるを得なかった。






354220 23:50