「日本には文化をサポートする政治家がいない」

「日本には文化をサポートする政治家がいない」

言われてみれば、そうか、と思う人も多いとは思うが、この年になって改めて実感を持ってこの言葉を感じている。

フランスにいたアンドレ・マルロー文化相に感謝する題の絵を描いた中国人画家(名前はど忘れ、ゲオ・ワーナーとかだったか)の新聞記事を見て、思い出したことである。

ついでだが、もう一つある。「東大とは何だ」ということ。

やたら東大を評価する著書が出てきたので、一言いいたい。これも受験校で周辺を見てきたことが批判精神を生んでいる。

何を言っても現状ではどうしようも無い。しかし、どこかで、このことをしっかり言って行かねばならない。とりあえずは、今、自分が中心になってまとめ、連載中の日本建築家協会の機関誌(関東甲信越支部)Bulletin の原稿「日本型規制社会と知的生産」の終りにこのことを言っておこう。

何をしていても膨らむ思惑

人のことを書くのでなく、自分のことを書こう。

コロナ対策で自宅自粛していても、どんどん時間が経つ。自分が何をやっているのか、よく見つめると、普段ならやらないようなことがかなりの時間を取っている。

まず食事を自宅でほとんど取るとなると、安全そうな店での食材探し、簡単にせよ料理時間が要る。テーブルセットと皿洗い、ゴミの処理。当り前だけれど、普段は外食が多く、自宅では週に2、3度だった。しかも家内の手伝いか分担作業だからあまり気に掛けなかった。しかも飲み水、酒、調味料なども普段の数倍必要なので、足りているか気配りも大変。

それにちょっと近所への食材買い出しでも、帰ってきて、包装紙やパックを全部、アルコールで拭く。靴の裏には消毒液を吹き付ける。手の消毒、マスクを棄てる、うがいをする。着ていたものは消毒液を吹き付けてハンガーで干す、こんなことをやっていると、どんどん時間が経つ。ちょっと神経質すぎるかも知れないが、高齢者対応ということで、家内が異常に敏感。これに合わせているからでもある。

それはともかく、時間がないのに、やりたいこと、やらねばならぬことが多すぎる。

コロナで社会が変わるという実感を受けて、新聞やTV、雑誌情報に注意していることが多くなり、これも時間を取られる。

あらゆることに気を取られ、それゆえの新しい発見もある。

例えば昨夜、テレワークをしたが、自分が話している間、他の人たちの

微妙な反応表情が読めず、何かディスプレイに向かって独り言を言っているような気になった。考えを論理的に一貫して話すにはいい場所だろうが、勝手に長引かせたりすることにもなりそうだ。話している間は、「でも」とか「フーン」という相槌のようなものが聴こえず、みな黙って止めるまで聞いている、という感じだ。

例えば、こんな気づきを書いたり、ある人に送ろうと読後感などを書いていると、連鎖反応的に、自分のやっていること、やってきたことへの思惑がどんどん膨らみ、とても簡単には文章に出来ないような状態になる。

これが、この数か月の自分の姿。

FBが面白い

ブログの方に「スプト二子」のことを書いたのだけれど、ここ数日、フェイス・ブックのデータにある面白い記事に「素直に」感心している。「今頃、何だ」と言われそうだが、FBの記事はずっと面白いと思ってきた。でも見出すと変に時間を取られるので、出来るだけ避けてきたというのが実情だった。

いくつか挙げよう。

 

・胴体無しの旅客機

あるアメリカの航空会社が開発中の、翼だけで胴体無の旅客機計画(MAVERICという)の話は面白い。これでエネルギー消費が20%削減出来るとのこと。窓から見るのが難しいのが欠点だが、着席の方法はいろいろ自由が利くそうだ。主翼の中が客室になるわけだから、従来のトンネル型と違い、横に広がる。このタイプの軍用機は1980年代には既にあったと思うが、フライト性能やくつろぎ感に問題が残っているのかも知れない。それに、完成され、パターン化された乗客管理、安全管理、誘導管理などの問題もあるのかも。いずれのしても、胴体のある機体を両翼で支える場合、胴体は浮力に役立たないのはよく判るので、この計画は、どんどん現実味を帯びてくると思っている。

 

・ゴートルード・ベーム100才展

今年100才になるドイツ建築家の展覧会。どこでやっているのかは見逃したが、多分ドイツ国内だろう。ブリッカー賞を取った「ュハネノゲスの巡礼教会堂」(名称の記録違いだったら後程修正)は、写真だけ見たことがあるが、実態は判らない。一度見てみたい。ベームのことはほとんど知らず、自分の考え、感じる建築とは程遠いようだけれど。

 

・サンミシエル・ダイギルへの岩山

フランスのル・ヴイ・アン・ヴァレーという所の近くにあるという、尖塔状の岩山の上にある、城郭とも住居とも言えない、更に尖塔のある建物が面白い。岩山の上や中腹の建造物は、ギリシャや中国などにも何やらいろいろあり、見ていないものも多そうだが、これは初めて見た。

内庭も何もなく、よくもあんなものを建てたものだ。後で場所を調べよう。

 

明治維新に関わった人物の大政奉還の時の年齢

誰かがアップしてくれたのだけれど、ちょうど知りたいと思っていた個人データ記録にぴったりだった。

第二人生で、自己の総集編のようなことをやっていると、いろいろな事件や創作年時の関係者の年齢を知りたくなる時がある。特に明治維新などの歴史的事件の時、あの男は何才だったのだろうと、ふと思うことがある。ところが調べるのは意外と大変だ。同じような問題意識を持った人が居たのだろう。勝海舟から小林寿太郎まで15人について知らべてくれたデータが掲載されていた。ちなみに勝は44才で、この15人の中で最年長。小林は12才だった。吉田松陰37才、福沢諭吉33才、徳川慶喜30才、伊藤博文26才など。皆、凄く若造だった。