尾を引く実家の売却

もう一度、まとめてみたくなった。


あれほどしつこく、小田原の実家を売ったことに、まだまだ拘るのは異常だ。自分でもそう思う(初めての方は4月23日の当ブログ「消滅か再生か」をご参照)。
いい年をして、というより、いい年をしているからだろうと言いたいが、この一件は、自分の今後の大きな決断の場という節目を見定めるのに、意味のあるきっかけになっているように思えてきた。


そのポイントは三つのことにありそうだ。
一つ:人生百年の計に考え方が変わったが、準備未了。
二つ:「孤独」に対する覚悟が甘かった。
三つ:モノを生み出すことへの戸惑いが行為を妨げた。


簡単に補足すると、一つ目は、80才くらいで人生を終わるという、これまでの考えが全く変わりそう。世俗的な考えを踏襲すれば、80までの貯えがあればいいのではなく、その倍程度の預貯金や資産がないと生きていかれない、ということ。もちろん健康状態でのことだが。病気で生きていればもっとかかる。やめてよいと思っていた事務所の維持可能性が問題にもなる。僕らの年代はこのことに何の意識も持っていなかった。ところが、ではと言って、子が親の面倒を見るどころではない。子供自身が生活に汲々としてるし、結婚の予想がつかないほどだ。これらは経済生活のことでカネの問題だけれど、ダ・ヴィンチだって、王侯貴族に養ってもらわなければ、モナリザは完成しなかっただろう。話が大きすぎるが。
二つ目は、創造のためには、自分一人でも生きていくという覚悟が出来ていない。孤独が嫌いなのではない。そのことによって引き起こされる周囲への迷惑にも超然としていられる覚悟が出来ていないのだ。
三つ目は、専門同業者にしか通じないかもしれないが「芸術の解体」を前にして、「これをやる」という具体的な覚悟が生まれないのだ。
専門外の方でもある程度知識があれば、という程度で、判りやすい例を並べてみよう。
これまでの認識内にある建築家では、例えばル・コルビジュエ:空間を解体してくれたし、絵画作品も創り、近代以降の空間芸術の祖となったが、もうこれはやれない。ミース・ファン・デル・ローエ:鉄と硝子という近代材料で造り上げた空間のシンプリシティは現代建築の祖でもあるが、同じようなものを創るだけになりそう。フランク・O・ゲイリーとザハ・ハディッド:CAD(設計のためのコンピュータ技術)でどんな空間でも造れてしまう元祖の二人だが、それゆえ、今では何を創っても年間建築雑誌を飾るだけのようなもの。面白そうな建築というだけで、世界中に溢れかえってきた。吉村順三など和風建築を開拓した建築家:実際の設計に応用され、ハウス・メーカー・レベルまで下りてきている。
これも専門家間の用語だが、自立した個人の「アトリエ派」が社会を動かすことは、もう無い。
アートの方はどうか。すでに自著(「クリエイティブ[アーツ]コア」)でも述べたように、マルセル・デュシャンが壊してから、アンディ・ウォーホル辺りまでが、壊しに乗じて面白いが、以後、なんでもありだが何も面白くない作品の時代となっている。アイデア倒れ、時間を掛ければいいものでもない、画商界の思惑に乗っていても、残るような作品であるかはわからない。
いい気なものだと思われるだろうが、どういう風に見ても絵画などのアート作品は「解体」している。これが上記の自著の副題にもなっている。今更、描いてもしょうがない。もちろん、「描くな」「作るな」というのではないが。その上に、エコの観点から、モノ溢れへの危機感も急拡大している。
結局、自分の主題になってくるが、建築でも絵画でも、出来ることをやるしかない。そういう観点からのデザインはあるだろうということだ。いずれにしても一つ目の、経済生活との調整があるから、かなり慎重な読み込みが必要になる。
こんなことが表層に上がってきて、判断を迷わしているわけだから、実家の売却という現実に調整がつかなかったのだ。



補足だが、最近、NPO日本デザイン協会のイベント「AI時代、デザインに何が可能か」というセミナーの記録を、当協会のホーム・ページに上括したが、その中で僕は、今のデザイナーや建築家のメンタルを、「ビジネス・モード」「アート・モード」「クリエイティブ・モード」と分けて論じ、それぞれを「B」「A」「C」としている。「ABC論」という訳。
これに従うと、上の一つ目は「ビジネス・モード」、二つ目は「アート・モード」、三つ目は「クリエイティブ・モード」という心性に属するようにも思える。
(このセミナーの、僕を除く登壇者4人は近隣業界の優秀者ばかりので、聞いておく価値あり。マイナーな団体ですが、ぜひご協力を。後ほど、このセミナーの紹介をします)。




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