またやっちゃた、菅さん

【情報】 (建物を建てようとされている方々向きの内容ではありません)


閑話休題


「またやっちゃた、菅さん」


日本と違い、ヨーロッパの文化人、芸術家は非常に政治に関わる。
アンドレ・マルローが文化大臣だったことは有名だ。
バランスの取れた芸術家は産業社会もよくわかるのだ,、と思いたい。


ちょっと考えると、文化のベースに国民全体が共有するものがあり、そうとなると、その上で疑問を抱かずに社会を語れるからではないか、という見方もしてしまう。
だから逆に、チャーチルは卓抜な絵を描き、確かブラントはオーケストラの指揮が出来た、という話にもなる。


こう書くのは、僕が実はどこか政治好きだからに他ならない。
ある高名な経営者とお話した時に、「政治はつまらないよ」と仰ったので、返す言葉がなかったことを覚えている。
もちろん政治に興味が移って来たのは、この国の産業経済のパターンを根本的に変えるしかない時になってきた、という実感が湧いてきて、それを支えている政・官・財の癒着を問題にし始めた20年くらい前からで、それを成しうるのは政治しかないのだろうと感じ始めたころからだ。


自分の能力に、言説を通して実際に人を動かし国を誤らない「政治力」はとても無い、とわかっているから、よけい思うだけでよい、政治家のやっていることが気になる。  なんであんなことを、とか、そんなことをするなら僕の方が上手いんじゃないか、とか、思ってしまうのだ。


と、書いてみて、いや違う、と思いなおした。
これでは前後が通じない。
実際は、日本の社会が政治に文化人(われわれのこと)を受け入れない体質を持っていることが問題なのだ、と言い換えるほうが実感として合っている。


だから、(日本にいる限り)文化やデザインのことではないから余計なことを言うまい、と自分に言い聞かせていても、やはり現今民主党の「経理部政治」的な動きには腹がたってくる、というか苛立ってくる。


今度の「尖閣」問題がまさしくそれだ。
「またやっちゃた、菅総理(及びその周辺)」という気持ちで、思い出す度にイライラしてくる。逆イラ菅か。ブレ菅という人もいるが。


「またやった」というのは、他でもない、世界蔵相会議での熱気から消費税アップで選挙を戦いながら、敗れると、この問題に触れなくなってしまった、あの件があるからだ。消費税増税(但し食材など生活必需品を除くのが個人的意見)は避けて通れない。ならばなぜ持論で説得を続けないのか。


今度は、中国人船長の釈放を地検がやったことなどと言っている。そうとしても、そんな言い方があるか。誰だってこれは逃げたな、と思うに決まっているのに。
政治問題化しないようにとの配慮だろうが、すでに相手はがんがん政治問題化している。
釈放時期についても唐突で、政府は何の交換条件も、理由説明もしていない。釈放すればうまくいくだろうぐらいの甘い考えしか出来ない。


レア・アースの問題もとっくに判っていた。中国の安値に押されて世界中の鉱山が操業しなくなったし、各関連企業、大学などで必死に代替物質の発見、発明に取り組んでいるが、政治問題が早く来過ぎた。
しかしこうは言っても、中国が日本から欲しい技術は沢山あるので、簡単に一方的な商取引停止で済ませない対抗措置だってあるはずだ。


麻生、鳩山と政権のブレぶりと超短期を横目でみていれば、これはやれそうだと思われるにきまっている。やってみれば日米安保アメリカの出方も解る。


原理主義的国家中国の首脳は、こうして振り上げた腕を簡単には下ろすはずがない。
日本はゆすればなびく国という実感を与えてしまった責任は、実に大きい。このつけは今後国民に還ってくるに違いない。


(もう少し時間を割いて要領良く述べたいが…言った通りに、デザイナー・建築家が言うのはどれほどのものか、という気持ちも大きい)