安藤忠雄さんの功罪、というより期待したこと

【論】       以下に平成27年9月23日の追記あり





安藤忠雄さんの功罪、というより期待したかったこと
What I've expected to Mr. Tadao Ando, architect:


The weak point of Japanese is to rely on the effect of Europian opinion or awards.
We can't decide own opinion by himself especially the matter is composed by cultural expression.
So, it's natural if he, Japanese, is eager to demostrate his ability and try to be fixed his fame by journalism, he'll try to be noted in the world of Europian journalists.

We can't except this tendency in the Japanese mind, and is, what I call "opportunism", and, not a few of us feel this on Tadao Ando.

(to be continued)

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平成27年9月23日追記
数日前に見た夢の続きだろうか、朝まだき、以下のブログ記事のことが思い出されて来た。
その際に、どうしても言い切れないことがある。それはある時代までの建築家の自己責任意識であり、それを代表していた一人が吉村順三であり、そのことを比較材料の例に入れておかないと若い建築家や一般人には判らないだろう、と思い出したのだ。
そこで本ブログに記した吉村の記事を紹介しておきたい。本来ならここに転載するのがいいのだろうが、同じブログなので前の頁をめくって頂く気持ちで検索して頂きたい。
   「吉村順三と皇居新宮殿」
   2010年9月19日記事

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これを書くについては長い間の自己への問責があった。例えば1年前の1月3日にもちょっと触れている。
人のこと、しかも同業者の、取られ方によっては悪口になるようなことを言うことの恥ずかしさである。じゃあ、お前は何をやっているのか、と問われかねない事態にもなろう。
しかし本日、デザイン8団体(経済産業省認可のデザイン系8公益法人の総称)の「デザイン・ミュージアム設立のためのシンポジウム」最終回(今次)に出席して発言もし、その後の関係者との懇親会にも出席した後の心理状態では、もう後が無い。思うことを言わなければ駄目だ、という心理に追い込まれたのだ。直接には建築家の世界の話ではなかったが、底辺では繋がっている。この時の事情は明日にでも話そう。


安藤さんのことを書くのは実に不思議なことだ。なぜ書くのかと言われるとすぐには返事に窮する。言えることは、本などの一般読者が、ある作家に勝手に偏愛や嫌悪を抱く一般心理と同じものなのかも、というくらいだろう。
ただ、同業者として一つ言えることは、普通なら彼に何らかの縁があったり身近に接していれば、互いに遠慮や紳士らしいマナーとしてとても言えたものではないが、幸いにも(不幸にもか)、まったく面識もないし(意図的に避けてきたわけではないが偶然だろう)、当然何らかの関係で意見違いになったようなことも無いからかも。ひねって言い換えると、ある人たちにとっては当然の期待かも知れない「実利に関係がない」(例えば、国の建設系審議会委員などに推薦されるようなことは、彼からも国からも絶対に有り得ない)というような立場だろうから、かも。
また、深く彼を研究した訳でもないことによるのかもしれない。深く知らないからこそ勝手なことを言えるのかも知れないということだ。ある意味で、そういう無責任な展開だということを承知願いたい。


去年の暮か、新年になってからか、日付の記録が無いが、安藤さんはBSジャパンの「プラス10」というTV番組に出席し、小島慶子の質問を受けていた。
テーマは「大都市緑化計画に挑む」というもので、一時、新国立競技場設計問題に触れるかとい思いきや、コマーシャルの後、小島はそこに話題を持っていかなかった。都市の緑化に励むなら、なぜあんなに木を切ってでかい物を造るのかについて説明があるかと思ったのだが。
安藤さんは終始、硬くなって明るくない顔をしているように見え、いつこの問題に振られるかと恐れているようにさえ見えた。
「安藤さん」と言った方が和むのだが、話の都合から、以下からは引用を除き、誰でも敬称略で言わせて貰う。




今週の週刊現代2/8号で、中沢新一伊東豊雄がグラフィックページで対談しているが、伊東もこのコンペに応募している関係から他人事ではないし、中沢も「ザハのデザインを選んだ人たちの責任は重い。…委員長の安藤忠雄さんも審査委員だった内藤廣さんも、かっては市民として、環境に寄り添う建築が大事だと言ってきた。ザハのデザインを選ぶには、彼らの言ってきたことと矛盾します」と言っている。
内藤廣は、自己のブログに書いたものが日経BP社の出版物に載ったのか不明だが、「ザハに最高の仕事を」というコピーが流れてきている(建築家協会関係者から貰ったものは「建築家諸氏へ」)。結論的には、言わんとすることは分からないではないが、やはり言い訳でしょ、という印象の内容になっている。


審査経過や今後の対応についてはここでは問題としない(すでにこのブログで自分の考えを述べている―2013/10/14。「新国立競技場がもたらすもの」追記版)。
ここで言いたいことは、安藤は「なぜ間違ったのか」についての周辺憶測を述べてみたい、ということだ。
というのも、同業者として、安藤の心理状態が手に取るように判るという自分勝手な思いがあるからだ。


彼はどこかで、内藤の言うように、決まらないかも知れないオリンピック東京誘致への援軍として、善意で出来るだけ建築的にド派手で迫力のある空間を賞揚したかったのだろう。誘致が決まらず建設も無ければ、プランは遊びか夢に過ぎない。それはそれで「楽しい」(いい加減な意味ではない)。決まっても建築的な国威発揚の立場はある、と考えたのだろうと思う。
その視点は「彼の言うことなら、最終的に誰も逆らう者がいないはず」と思われる空間決定について、まさにある種の驕りがあったように感じられる (こういう事を含め、初期の考え方を多方面の知恵で補正するブレーキ・システムが現在は無いことについては別の議論となる)。


ここからは話が新国立競技場から離れて、安藤と彼を取り巻く環境についての自分(大倉)の思いに変質していく。
彼の現在いる立場は、時代の価値観の大幅な転換の中にあって、文化や芸術の使命でもある、先進性の体現を含む建築家という職能に求められる理念性と、官僚や経済人が留まる既存体質という実体社会の、言ってみれば後進性の受容という、異なったベクトルをどう折り合いをつけていくかについて、まず己より態度を示して行くことにある。
それについてしっかりしたスタンスをもって望まないと、単なるオポチュ二ズム(機会を見て自分の都合、特に利益になる方に身を振ること)に陥る危険性が大なる時代だということだ。彼のうちに、何らかのこのオポチュ二ズムのにおいが感じられるからこそ、問題にされるのではないか、という気がするのだ。

根源のかなりの部分は、彼を世界一の建築家と持ち上げる、日本の、あるいはそれの影響を受けている(あるいは与えている)世界のマスメディアにもある。メディアにとっては、建築家という判りにくい職能を、経済に席巻され規制を基軸とした最新の社会構造を把握した上で、うまく説明してくれるジャーナリストや評論家、学者がほとんど育っていないことが不幸なことなのだが、打ち上げられた花火の鑑賞者レベルでしかないにも関わらず、そこからでもものが言える「これまでの価値観」頼りで、タレントにしがみついて行く。


安藤の得たポジションは、もちろん彼の努力もあるが、「関西力」とでも言うような下地を持つ、サントリー佐治敬三に巡り合ったなどの幸運も重なっている。また、俗に言う建築家にしては「世渡り上手」「市場を読む嗅覚が優れている」などの個人資質もあろう。それらは悪いこととは言えなくて、むしろ他の建築家がとろいか、不必要に真面目過ぎるという言い方さえあるだろう。
多分、安藤がそれで済まされないのは、得たポジションを生かして、日本の建築家の社会的地位向上ために具体的には尽力していないように見えることではないかと思う。
誤解ない様に付記すれば、自分がいい仕事をして社会的に認められれば、結果的に日本の建築家のためになっている、ということを言っているのではない。問題の本質は、成功者とその他の努力者との間の極度の二極化にある。


日本の「建築士」は「大量生産」されたが、当然、資質に自信を失う者の順に、転職したり、単なるサラリーマンに留まったり、建築技術者や、建築相談員(営業マン)になったりして、「建築家という職能」から降りていく。それはそれで自然の流れだが、当面食えなくても資質に自信があり、本筋の建築家を目指して頑張っている才能のある若者や、これも才能があり、努力して頑張っている独立事務所の運営者にとって、この時代の激変の中で、今や本義の建築家職能は絶望的な状況に追い込まれている。
今、重要なことは才能のある建築家を育てる社会的なシステムが解体しつつあるという現実の認識と、それへの救済対策だ。そしてそれを示すようにほとんどの、良心と能力はあるが助っ人たるクライアントを持たない独立建築家は「食えなくなっている」。極端な集中と格差が生じ始めているのだ。
もちろん、その背景には、急激にネット情報化したこの10年余りの社会変化とそれを活かすように進化してきた情報技術、及び技術そのものの進化があり、そこに関わって、おカネですべてを換算することも含む「グローバリズム」の充満があったことの理解が重要だ。このことは過日の当ブログに記事転載した。(従来概念の設計の核心だけをやっているのでは仕事として成立しないような、例えば総合的な「スマートウェルネスハウス」のような住宅概念が中心になり始め、組織力を活かせる大中企業的対応を迫られている。このために個人的に住宅から設計経験をしていく現場ルールが奪われてしまった。関係ブログ記載日:2013/7/15。「正義の話をしよう」)
最近の新聞記事で「『建築の危機』打開せよ」というのがあって(朝日新聞本年1月22日夕刊)、槙文彦、磯崎新原広司が対談している。ここでは「(背景に)責任を分散させる資本主義社会の動きがある」という槙の意見に集約された危機が表明されていた。(本記事へのコメント発表について、執筆編集担当の大西記者に合意を取り付け中。一週間以内に載せる予定)
理念的に育てられた建築家像は、この10年で大きな社会変化の波に飲み込まれた。スターダムに乗ってしまえば、下手をすればこの激変を忘れ、あるいは考えずに「巨匠時代の追憶」の実現に向かうことも出来るのだ。
ここにある問題は、ひとえに建築家だけの問題ではなく、これまで「デザイン」と言われてきた多くの分野に共通する要素のある問題であろう。


安藤もある時点までは、一匹狼としてのその辺のことへの自覚と努力もあったのだろう。しかし仕事上、十分努力をしつつも「自己の売り方」を忘れることが無く、さらにその上でラッキーだったからと言うべきなのか、社会的評価が高まるにつれ、保身に注意するようになったように見える。その事自体が誰にもあるようなことで、非難も出来ないが、残念ながら建築界には、あちこちからの多様な「出世」ルートというものが無い。また、前述のメディアの話でも分かるように、一般から見ると「建築家」というのは、いくつもの違った価値観でいろいろの山を形成している、などという認識はまったくないように見える。いわば単一のピラミッド型ヒエラルキーのように見えるのだろう。まして日本人自体が文化についての個々の主体的な考えを持っていないし文化を育てない(ここでは敢えて一方的な言い方をしている。これ自体で議論が紛糾するので、別の場の問題としたいが、一つだけ言えば、データの出にくい分野で日本で認められるには、外国で賞を取るなどでないと難しいことを思い出して貰えばと思う)。
構造計算偽装事件の半年後ころに、安藤はNHKの論壇番組に出演したが、この時、どんな時点でか、このような厳しい建築家の現実について言及があるものと思っていたが一切、それは無かった。代わりに自分が如何に現場で職人たちと仲良くやっているかなどへの言及に終始したことを覚えている。
すでに収益システムの出来た仕事を更に取るためにはこれでいい。しかし、現在のあらゆる問題は、資本主義経済のあり方と、法令や各種の規制など国の行政施策の在り方に至らない問題は無い。これへの言及を一切拒むことは、現実の実態を隠蔽していることにもなるのだ。


思うに多くの建築家は、彼のような立場に立った分だけ、この国での建築設計界の社会的窮状の紹介や救済への提案を、設計システムの不公平性や経験量の差を超えて(それらは当然という意味で)、真の意味のデザイン能力を評価するルールの提案や、それらへの協力について社会的に発言して欲しいと願っているのではないだろうか。彼がそれを知らないはずはない、として。またそれによってこそ日本の建築家を救う一役だと周辺から理解してもらえる、と彼自身が自覚しているとして。そしてそれを彼一人に求めるのは無理な話だ、ということも承知しているとして。



ここからまた批判口調とも取れそうな展開をやめ、「安藤さん」という言い方での思いに戻ろう。
ここで言うように、この「建築家の危機」は、彼一人に押し付けられるような問題ではない。多値化し歴史的に転換期にある現代の最先端にいて、この問題を語るには、多くの建築家やデザイナーの共闘を必要とするのだ。それに、建築家やデザイナーの多くは専門技術の習得と実施に大変な時間を取られてきているし、視覚的な表現領域に力点があるのだから、どうしても社会認識についての偏向や知識不足もある。
その意味では、「安藤さん、何やってんだよ!」ということは、共闘者の視線としての歯がゆさでもあって、恥をかかせて舞台から引きずり降ろそうなどとしているのではない。それほど、我々にとって厳しい時代なのだ。

(2015/08/21:微修正)