「ターニング・ポイント…」の余波ーその2

Aさんよりの連絡

過日の討論会、「ターニング・ポイントに差し掛かった…」は、あちこちに反応が出ている。
明日には、事業報告書を転載するつもりだ。また今年中には、発言禄を読めるようにして公表したいと思っている。

これは純粋に、当日の印象から考えたことを伝えてくれたもので、その観察力に感心している。
コメントをつけたいがまだ通読程度というべきなので当面は控え、まずは了解を得たのでご紹介する。
ご本人の希望で匿名とする。



大倉先生へ
ターニングポイントに差しかかった
         デザイン・建築・環境について語り合おう

理解することは無理だろうな、と思ったのですが面白かったです。
先生方のお話を聞いていて、「言葉」の重要性を感じました。
物を見る目の「確かさ」・モノを感じる感性の「豊かさ」は言葉を通じて自己に定着すると思いますし、他者に伝える手段となります。
講演中に何度か出ていた「美」・「説明責任」は言葉を介して相手に伝わる。
ですが、言葉を自分のものとするには時間を要します。せわしなく・合理的に生きている現代人に、言葉を熟成するまで待つ時間は少ない。又、そのような時間は持てないと思っている人も多いと思います。「コピペ」が日常的に使われることも納得できます。

昨年は鈴木大拙の生誕百年に当たり、在家仏教会が一年間の講座を組んでくれました。二回目の講演の先生は、鈴木大拙は、体験したことを言語化し理論化したと言っていました。心に残る言葉でした。
数回の後に、親鸞の「教行信証」の英訳についての講演では、大拙は「教」・「行」・「信」・「証」の一文字、一文字をどのような「語」を用いれば理解できるのか、言葉と日本の歴史・文化と向かい合い、熱意をもって英訳したことを知り、体験−言語化−理論化とはこのような行為を言うのだろう、と思いました。

建築物は「街並み」・「景観」に影響を与える。現在の法では、「街並み」・「景観」には配慮されていない。
神田先生は「建築基本法」を提案のかたちで提起をしておられます。
連先生は英国に留学した経験からCABE(建築街づくり機構)を提案しておられます。
デザイン関係では「アマ」と「プロ」の問題が上がっていました。
ある物にはすべて名前がついている、と在家仏教会講演で哲学者が言いましたが、「もの」は「人」と関わって存在します。
「アマ」と「プロ」の違いは、物が人と関わっていると知っているか、知らないか、だと思うのですが、間違っていますか。デザインとは無縁の人間なのですが、東京国立博物館で時々宝物の説明会があります、その話を聞くと美術品または美術史としての説明のみです。いつのころ、だれがどのような思いを込めてこの美術品を造ったのか依頼しなのか、「物」と「人」のつながりの説明は一切ありません。歴史に関わることなので説明できないのかもしれませんが。

共通していることは、遷都が1868年ですから、明治維新からおよそ150年が経過して、現在に至っているのですが、今、この現状で良いのかと考えている、ことだと思いました。
明治維新に奔走した人の父親は江戸末期とはいえ「武士道」を心得ていた。武士道を心得ている父親に育てられた子は「武士道」を受け継いでいると考えらえられます。「武士道」は文化と心性に影響を与えている。
明治政府は富国強兵政策を打ち出し、幕藩体制から中央集権国家に作りかえた。
時の政府は百年後の日本をどのようにしようと考えていたのだろうか。
欧米に、追い付け・追い越せだけではなかったはずだ。
日清戦争日露戦争第一次世界大戦大東亜戦争・太平洋戦争・第二次世界大戦を経て、戦後七十年目を迎えた。(下記注)

敗戦を経験し、焦土と化した日本を再建し、経済を立て直し、国民に「物の豊かさ」を与えてくれた。経済が優先され、実利的・功利的に物事が進められた結果1970年代は「公害」が社会問題になり、並行して「コインロッカーベイビー」に象徴される「人の命」が問題視されるようになり、政・官・財の癒着と汚職が紙面に出るようになる。1980年代ころから「心の豊かさ」がささやかれるようになった。東日本大震災以降、「個として生きる」ことや「自分の頭で考える」ことの重要性を感じ、声を上げる・行動することに目覚める「民」も出てくるようになる。

日本列島は列島の成り立ち・位置から自然災害を受けやすい。災害だけではなく自然の恵みも受けている。地震・火山の噴火や大雨は災害をもたらすが、それによって「温泉」や「水」が身近にある。
気候・風土は生活習慣や文化に影響を与える。自然と共存する文化は、時間はかかるがその過程で、私たちの先祖は自然と向かい合い、知恵と技術を身に着けたのではないか。
明治から今日まで小刻みに失ったものは、そのような「文化」ではないか。
明治政府は「文化」をどのように考えていたのだろ。「文化」は「歴史」と結びついている。
工芸品を流失させ、廃仏棄却により本尊が壊され、神社と寺を廃統合させ庶民の「祈り」の場を混乱させた。古事記日本書紀は別物であるのに「記紀」として一つにくくってしまった。
宗教が庶民のレベルまでに達したのは500年の歳月がかかっている。又、文化が庶民のレベルまで達するのに千年の歳月を要した。現代でも「文化」の政治の位置づけは低い、と思うのは私だけではないと思う。
国立博物館にはよく行くほうだと思うのですが。ここ数年、特別展の人の多さに驚きます。明治時代に海外に流失した「文化」を、今享受している現代人は何を考えなければならないのか。
日本の文化に「借り借景」があり、景観と街並みは、自然を借り借景として庶民に根付いていたと思う。永井荷風の「日和下駄」に「関東と関西の違いは富士山が見えるか、見えないかだ」と言っていますが、富士山は景観と同時に信仰の対象にもなっている。
日本列島が災害に見舞われやすい位置にあるために、失敗を繰り返しながら、自然と共存し、防災の知恵を積み重ねてきたことも文化の一つであると思う。海岸沿線に立ち並ぶ松並木は景観と防災を兼ねていると思います。

18世紀末、動力が発明されイギリスに産業革命がおこりました。動力は大量生産が可能になった。19世紀に石油の発掘ができるようになる。石油は「車」だけではなく、今ではあらゆる製品の原材料になっている。化学物質で作られたものは自然には戻らない。
大量生産、大量消費され、使用済みになったものは一体どこに行ったのだろう。
地球の温暖化・異常気象の原因の発生は「海」と「宇宙」からきている。
経済の発展と共に資本主義経済の整備が整った。温暖化・異常気象は経済の発展と無縁ではのだから、並行して考えてゆかなければならないと思う

グローバル化と情報化、グローバル化の特徴は根こそぎ奪って行くことだと思います。気候と風土に関係なく地球に均一化を強いている、本当にそれは必要なことなのか。
情報化、あまりにも多岐にわたり広がりすぎてしまい、分からない。人は人と関わって生きていかざるを得ない。それを忘れてしまいそうだ。



(注)分けたことについて聞いたら、以下のような返事を得た。
大東亜戦争・太平洋戦争・第二次世界大戦は、韓国・中国との関係・パールハーバーの攻撃それらが重なって世界大戦に突入した、と思っています。節目のどこかで誰かが防げなかったのか、という思いがあり分けました。」