雪村/ブリューゲル/シャセリオ―/ナビ派

一挙に並べてみる。

どういう関係かというと、今、上野で開催中の展覧会に、丸の内を一つ加えたものだ(笑)。
丸の内は三菱一号館美術館での「ナビ派」展。これだけは家内同伴で別日だったが、他は一日がかりで3か所を「踏破」。疲れたが、毎回、毎回上野までという予定は組めず、一気に見てしまおうという気になっての「突撃」。学生時代の京都の寺社の研修旅行みたいに、どの寺だったか混乱してしまうようなことがないように、一件ごとにティータイムとカタログによる再考時間を設けて臨んだ。


それぞれの画評は後からにするが、まずは簡単な思い付きメモ。

「雪村(せっそん)」展
光琳が尊敬していたという人物。当然、後の琳派に影響。なるほど実に達者で軽快、痛快、豪快。改めて雪村の実力を知った。この時代にしては異常な長命。
1490頃〜1577(86歳)


ブリューゲル「BABELの塔」展:
これも一度は見ておきたかった作品。この作品一点展示のために30人ほどのたくさんの仕事や版画を併掲している。「バベルの塔」は60×75センチ程度の小さい絵。これを10倍以上にしたかと思われる大きさで部分を曲面壁にプリントして紹介。するとそこで活動するたくさんの人間が生き生きと見えてくるという超絶技巧。ブリューゲルの生涯は判らないことが多いらしい。
1526から1530頃生れ〜1569(39〜43歳)


「シャセリオ―」展
この展覧会で初めて知ったが、以前に開催された「シャバンヌ」展との繋がりも判って感激。大変な画才だが、それにしても37才で死亡とはあまりにも若すぎる。70、80まで生きたらとっくに世界的な著名人になっていただろう。
1819〜1856(37歳)


ナビ派」展
「ナビ」とはナビゲーションの意味と同じ、先導、開拓といった意味かからとった言葉。印象派が「終わり」、彼らが新しい道を引導したというわけ。ゴーギャンに影響を受けたセリュジェからアカデミア・ジュリアンのグループだったボナール、ヴィヤール、ドニ、ランソン、マイヨール、ヴァロットンらが結束して立ち上げ、印象派後の近代絵画の端緒の役割を果したが、20世紀になると各人が自分の途に向い分解した。わずか10年くらいのことだが、近代絵画の転変の激しさを表している。
1888〜1900頃


年号を見て判るように、雪村とブリューゲル、シャセリオ―とナビ派は年代的に繋がっている。こういう年代を比較してみるのも面白そう。この辺もちょっと触ってみたいと思う。






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