襲われる無常感

(付記):24日の当ブログに、もう一案、●で付け加えています。

(再付記):27日に●印で、以下に付記しています。


AI の未来を語っていながら、こんなこと言っていいんだろうか。


今日は亡くなった家内の両親の身辺整理を行なった。
今日が初めてではないのだが、岳父の部屋の写真や発行してきた印刷物などを片付けていると、悲しみと無常感に襲われた(最期は自宅介護で逝ったのだ)。
書棚には団体の長として頑張ってきた機関誌や記録、スタッフが整備した研究会の記録写真集。それに好きだったクラシック音楽のCDや、絵画、陶器やガラス工芸の本や作家集。家族の写真や名誉を伝えるメダル類など。これが人生の成果?
いろいろ教えてもらったが、あれは何だったんだろう?

岳父は全く分野の違う人で、こういう父親を持った娘と結婚しなければ 、接触することも知ることもなかっただろう。
晩年によく言っていた言葉が「人生は徒労だ」ということだった。
社会的な名士でもあった人が、人間関係の喜怒哀楽や愛憎嫉妬を越えて感じたことがこの言葉だったようだ。
一緒にいた写真などから、ある瞬間や情景が彷彿と浮かんで来るが、その人はもうこの世に居ない。この世にいない、と簡単に言うが、これがどんな深淵かはこういう時でないと感じられない。
写真はある盛大なパーティの席で、知人が次々と岳父に挨拶に来る。あの熱気は虚無の隠蔽だったのか。


実はよくあることだが、娘を取られた父親と婿の関係は時に非常に難しいものがあるようで、僕の場合も例外ではなかった。それが今になってみると、逆に非常に懐かしい。そんな岳父が、徒労を承知で見栄を張るような社会活動を進めてきたとしたら、よほどの達人か虚栄者だろう。
彼が「家の2、3軒建てたって何になるんだい?」と言った時から、僕は距離を取るようになった。それが今では反面教師となって、デザイナーや建築家の考えを思い上がりにしてしまう日本の産業界の一般常識を教えてくれている。つまり彼はカネ儲けのために、この言葉を言ったのではなかった。この国ではそんなことやっていても認められにくいよ、という気だったのではないか。それだけ文化人ではあったのだ。
僕自身が「人生は徒労だ」と植え付けられたしまったかのように、「人をしのいでやってやるぞ!」などという気にはサラサラならない、と言うのは嘘だ。「見下してやる」とは思うが、そこに本気の熱は入らない。そういう意味では、結果として知ったのかも知れないが人脈の海を泳ぎまわった岳父には凄いものを感じる。


我々のやっていることはもちろん「徒労」だが、虚無を忘れるために楽しんでやるしかない、という心境と言うべきか。
●実は(よくこの句を使う。良い癖か悪い癖かは知らないが)自分ではやっていることが徒労だとは思っていない。そこが芸術家的価値観をベースにした生き様の結果なのだろうが、ノー天気な無知なのか、家内の言うように世間知らずのいい気なものなのか、それは判らない。ただ自分の内では、日本人の歴史に関わる発想転換への表現をしてきているとの自負心で満ちている、と思っている。
(心境に語るものがあれば更に後述)




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