国立近現代建築資料館にて

●中、後段、書き換え、追加しています。12/10  13:30
●●表記で、磯崎新と藤井博巳のビデオ・トークから記載 12/15 21:30
●●●表記で、高松伸トークから記載 12/17 17:00
●●●●表記で、原広司トークから記載 12/20 23:30  藤井博巳に追加 12/23 21:30


紙の上の建築
日本の建築ドローイング
1970s〜1990s



良く考えてみれば、この記事を書いても、何を言っているのかわかる人はほんの一握りかもしれない。
少なからぬ読者は、名前を出しても、誰が何をしたのか判らないかもしれない。かと言って、作品写真を勝手に掲載することも許されないだろう。
当方でも、このブログの読者の方もどんな人たちで、どんな分野かは全くデータを取っていないから、デザインに関心があるという程度で検索してくれた人には面白くもない内容かもしれない。どういう視点で書いてみるかはある種の賭けみたいなものだ。
以下に書き始めたことは、そういうしっかりした判断視点がなく、最初から判っている専門家間の言葉の投げ合いみたいなものになる可能性が高い。それでも関心は、作品の解説や作家個人の思いという よりは、この時代になぜこのようなドローイングに夢中な状態が現出 したのか、という問題である。
いずれにしても、途中で意識してコントロールしてみたい。その意味では学術論などではなく、思い切った私論である。

*       *       *       *       *
上記の展覧会をやっている国立近現代建築資料館での見聞を書きたいが…なかなか時間が無くて、追記や修正が増えて迷惑をお掛けしている。
展覧会用のビデオ・インタービュを受けていたのが、磯崎新原広司高松伸、藤井博巳の4氏。当然、今、生きている人達だ。めったにない機会なので、時間を止めて聞いてみた(プリント資料もある)。
各氏への個人的なコメントはある。このことも言おう。


「建ててなんぼ」とは思ってきたが、建てない建築を馬鹿にしてきた気はない。事実、能力はあっても (!) 建てさせてくれるクライアントが現れず、コンペやプロポーザルでは何度やっても落選ばかり。後から思えば、出来試合や組織力知名度、投資力、資格条件など本質でないものに振り回されてきたことも判り、ある年などは2件のプロポーザルに夢中で1年が終わってしまい、収入激減。これでは「建てない建築」でも描いていたほうがよっぽど良かった、と思えば、「紙の上の建築」も意味があると思えてくる。

今回の企画の核になっていたものは、あの時代が許し、求めた表現方法の再確認だろう。
取り上げられたのは、渡邊洋治、磯崎新、藤井博巳、原広司、相田武文、象設計集団、安藤忠雄、毛綱毅曠、鈴木了二山本理顕高松伸の個人10人と1設計集団。なぜこのメンバーなのかはまだ判らない。
その観点から、一番狂信的と言えば、毛綱と高松だろうか。毛綱は、建たないことが判っているので、個人の思いを画像にした。高松は建てる確信を確認するためにのめり込んだ、とか。
磯崎と安藤はアート作品になるかもと意識してシルク印刷を持ち込んだようにも見える。磯崎はプランニング時に原型を意識し、機能をそれに従わせようとした。安藤は原型を光と影、水、迂回路などへの意識に向けさせようとした、ということだろうか。

この時代に言えることは、戦前、戦後から続いて来た国家を意識したような建築観に対して、個人の立場が中心になってきたということだろう。もう一つは、建設産業が台頭し、ゼネコン(総合建設業)が主役になり、個人の立場がどんどん弱くなったことだろう。丁度、良く言えば補完関係のような感じで、個人建築家の存在が浮かび上がってきたと言える。このことはカタログで日埜直彦氏(芝浦工大非常勤講師)も言っていることで、同感である。
日埜氏は更に「建築産業の歯車ではない自立したビジョンをもった建築家であることを証し立て、その個性を表現する作品となった」と言っているが、現実には、来るべき建築家の冬の時代を予感して「震え上がる気持ち」が行動に走らせたとも感じられる。




展覧会用ビデオ・インタービュを見て:(録画はすべて今年:2017)
●●―聞いていておもしろいと思ったところー


磯崎新:「(建築のコンセプトを)ポピュラーライズするために、シルクの版画をつくるとしたら…、版画として成立する形のものをやっぱり考えるだろうと。建築であろうが、なかろうが、どうでもいいんだ。でも、僕は建築でもそういうことを考えたことしか、世の中に提供できるものはないから、じゃあ、建築、今までできた建築をシルクに還元する…」
「還元する」というキーワードが出てきている。


藤井博巳:「(我々が使っているのが)施工図であったり、製作図であったり、…空間全体の説明図であったり、解析図であったり、やっぱり表現、建築が何かを表現するということについて、それ自体として自立したようなドローイングみたいなものというのがない。…そういうことを考えることからドローイングに興味を持ち始めたと。
…(そういうことが出来る)道具みたいなものは何だろうかと…模索していって、グリッドに出会ったんですかね」
藤井は 「建築そのものを作っていくのが、やっぱり住み手の側であったり、…建築を見る側ですよね。使う側とかね。…設計者の我々の役割じゃないんじゃないかと」 と言い、それを 「建築家はやっぱりエージェントなんだ」 と結び付けていく。
「エージェント」とは、旅行代理業者に使われている言葉と同意味のようだ。●●●●ここまで極端な建築家像も珍しいが、ある意味で、商業化社会の波に取り込まれていくことが不可避であることを先見していたとするなら、重要な提言をしていると言える。この時代に、この観点を含めて建築家を社会的に規定していけたら、現在の我々の立場はもっと自由であったかも知れない。


●●●
高松伸:「…コンセプトという言葉に、どうしても僕はアンカー(着地ほどの意味か:大倉)出来なかったんです。例えば「反住器」というのは…コンセプチュアルですね。非常に操作的な。…我々が持っている既往の認識を、あるコンセプトに戻す手続きで…ねじ曲げてしまうような。僕が考えたのはそういう建築ではないと。そうではなく、それ自身が複雑なモノリズムのように…存在することが我々に伝わってくるような…『コンセプトという言葉とシンボリズムという言葉を突き抜けたような建築を造るべきなのではないかな、俺は』…というふうなところに…興味が移っていきましたね。
だから、いきなり気になり始めたのが素材…それとやっぱりフォルム…」
「…フォルムには様々な属性がある。…強度とか、…密度、濃度、輝度、場合によっては温度、湿度も…。それを鉛筆のようにたった一つの道具で描きだすことができないかと…」
「鉛筆というのは不思議なデバイスで…削っている間に様々な思考が凝縮するというのが僕のスタイルなんですね、…だから鉛筆に助けられて建築をデザインしているようなものです…ノミで彫っていく感じに近い…」
また高松はヒューマンスケールとかヒューマンな分割とかを嫌い、「僕にとってはヒューマンスケールはないんです」とも言う。背景には、バロック建築などが人間臭いものを超越することに賭けた死力への意識があるようだ。


●●●●
原広司: 「60年のあたりから、何か都市全体の記述みたいなものに移っていく。ビルディング・エレメント的な発想から…現象を記述する道具立てとして、要するに地形図みたいなものが…必要じゃないかって…そこらあたりから逆に二次元的なことを考え出すわけです。(建築の美学的表現や、空間の状態を示すのは、他の人に任せておいたほうがいいと思うので:大倉要旨まとめ)、建築が…現代の課題に答えることができるんだということを…納得するような、説明するような絵を、図式を描くっていうかな、…そういう意味では、それは私が描きましょう、と思うんですよね。それは絵じゃなくて、仕組みをあれする図式だから…」

原の話は繰り返しも多く、非常に判りにくい。酒を飲んでしゃべっているかのようだった。カタログ解説にも、原は「目指す空間の文法と、その建築表現との関係は時代と共に変遷した」とあるが、有孔体理論で驚かされた想い出の人とは思えないような語り口だった。

(敬称略)


(後述:描いたことをどう現在に繋げるのか、現在におけるドローイングの意味は何かなど、全体に補完の必要も感じられ、思うところがあれば追記します)







・13:15 6500   12/10 13:30 7330 12/17 17:00 318000   12/20 23:30 8430