こんなもの見ちゃうとね

引き続き実家の処理


あー、困った!
今、親の実家の売却をしていると書いたが(*)、まさしくその火中にある。(*3月25日付:「現代特有の憂愁か」。1月25日付:「人生のある節目に立ち会った」もご参照を)
片付けても片付けても家財の整理が終わらない。立ち退き日が迫っている。
親に対しては長男として、自分の私生活については個人として、自分でしか出来ない片付けがあるということは今回、つくづく思い「絞め」られた。それが膨大なのだ。
想い出しても父親とのコミュニケーションは非常に少なかった。その分、残された日記、写真記録、思い出の品にそれぞれコメントが付けられ、息子、子孫が読んでくれて引き継いでくれるように、などと書いてあると、一時的にしろ,片付けがストップしてしまう。
これも書いたように、歴史が変わりモノを残しておけばいいという時代ではなくなりつつある。親にはまことに申し訳ないが、深めた交友を示す多くの写真も代が変われば何の感動も呼ばない。親父の観光写真や、会社の記念写真などいくら見てもどうしようもない。自分が見てこうなのだから、息子の代ではもっと無関心だろう。
そこには、親の職業(昭和期の繊維問屋大手の幹部)と全く無関係な分野に入った子の世代の問題ということもある。
今、振り返り、写真などを見ていると、親の気持ちは判る。そしてそれを乗り越えた、と自分に言い聞かせてみても、それでどうなる? 自分にしかわからず、他の誰が人の父親の想い出を語ろうとか、知りたいと言うのだろう?
何せ20冊を越える写真集の保存する余裕がない。かと言ってデジタルデータ化に時間と経費を掛けたところで、後で見ることがあるのだろうか。


理由の一つである自分のことでも、大学に入学して東京に住むようになる前までと、ミラノに行く前、帰ってきてから結婚後の何年か、自宅を建てて引越しをした時、というように、大きく見ても人生で4回以上は転機があったにも関わらず、その度ごとに自分の荷物を整理せず、いくらか余裕のあった実家に持ち込んでパックのまま保存し、しゃあしゃあとしていたことが大きい。それがもう一つの片付けの邪魔だ。
だから、思いもよらないことが起こる。
例えば、集めた写真をいい加減に詰めたボックスからパラッと出てきた一枚が下のものだ。
忘れていた画像と、忘れられないあの時期 !

この写真はミラノに住み始めた年だったか、イタリア語講座に通っていた時のもの(1972年)。左の気取って見える自分の隣が先生。名前は忘れたが、お母さんのような表情(典型的なイタリアン・ママとしての)は今でも覚えている。当時、この教室のオリエンタルは1人だけだった。今なら中国人でいっぱいかも。
こんなものを見てしまうと、もうどんどん時間が過ぎていく。 そし て、これが捨てられない。




こちらは一緒に出てきたもの。ローマのサン・ピエトロ広場で。同じ頃か。写真は汚れている。


(記録はどちらもiPadによるメモ撮りの為、ゆがみ、印画紙の反射、ブレがある)






明日10日(火)はこの実家(小田原)に行き、最後の一泊をする。
父親が残した写真集はいくらかはデジタル・データとして撮影するが、大部分は破棄せざるを得ない。膨大な日記などの読みにくい文章の記録も残すにしても、ある程度は飾り人形などと共に「お焚上げ」を願って、神社に届けるしかなさそうだ。











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