地域に密着して生きるのが建築、と現実に還る

建築の事では最近語っていない。

「日本型規制社会と知的生産」のテーマでこの春に語り合ったように、建築設計業務以前の問題に囚われてきたからでもあるが、設計姿勢について感じていることが無いのではなく、今や、この問題があまりにも大きくなり、語り切れない状態にまでなっていると思っているからである。

資料整理していたら、2009年(平成21)の新聞(朝日12月2日夕刊)に隈研吾展(「スタディーズ・イン・オーガニック」ギャラリー・間)の紹介記事が。例によって大西若人さんの原稿だが、読んだ後にマーカーで気になった文章にライン入れていた。

短い紹介だが、今、読んでも、自分の考えとそんなに変わらないようだ。

「95年はグローバリゼーションが言われ始めtたころで、映像などのバーチャルなものとリアルなものをどう結び付けるかに興味があった(95年の同会場での個展では模型がほとんどない映像中心の展示だった)。しかしグローバリゼーションの今こそ、リアルなもの、ローカルなもの、場所に密着した価値が高まっている」と隈さんが語り、この時は模型ばかり並べたようだ(この時も、その前も見ていない)。

15年前の映像展では、歴史や思想といった建築の重層性を示そうとし、「建築は形より体験をデザインすべき時代に変わった」と語っていたそうで、どうやら読みは確かだったようだ、と大西氏はくくっていた。

 

それから10年経った今、ここに表示された考え方は、ほぼその通りに実現されたようだ。そしてその考えは、つまるところ、「場所と建築が、相互的で柔らか、つまり有機的な関係を結ぶことだ」(大西)ということであり、それは建築が現実に還って、理念や歴史性、あるいは形態の意味などに囚われることが無くなったということだろう。

言い換えれば、建築は、施主希望、建築目的への適合性、場所性という当たり前の設計条件に戻り、それに適した構法、素材、コスト、工期を含めて考える、ということになった。そのうえで「面白いもの」を考えてまとめてもいいし、結果的に「面白い建築」になれば、それも良いということか。建築に主体的な理念などは必要なくなったのだ。つまり設計は、エコ環境への提案や素材のヒューマンな活用などを除いて、当然のことをやるだけのことになった。

ある意味でこのことは、燃えるような想いで設計をする、などということはなくなったということだ。創造者個人としての設計はつまらなくなったのだ。

 

ついでだが、同じ捨てる資料に「日常くつがえす物語」(日経新聞2009年3月15日)というのがあり「原研哉が仕掛けるデザイン展」という副題が(「HAPTICー五感の覚醒」で話題になった考え方の展開を語る)。

紹介の内容はともかく、記事を書いた窪田直子さんの最後が、今読むと時代が感じられて面白い。

「目新しいもの、奇抜なものを競って消費してきた現代社会で、デザインは不幸な運命をたどり、『ただのスタイリングととらえられ、経済のお先棒担ぎのように言われてしまった』と、原はみる」。

ここから、日常の隅々をじっと見る人間の知恵や記憶にデザインの意味があることに気づかされた、と結ぶのだ。

このことを含め10年後の現在、凄くあの時代の空気を感じる。

おそらくこの頃の週刊誌記事の切り抜きの「著者に聞け!」で、佐藤可士和の「クリエイティブシンキング」も出てきたが、どれも懐かしい。

 

あの時代は今よりはるかにデザインや建築について、メディアが真面目に取り組んでくれていた、という印象がこれらの記事から読み取れる。

「デザインが不幸な運命をたどる」のはその後も続いていて、今や、承知の無視と言った時代状況ではないだろうか。