ヴォーリズの仕事と現代の設計環境

【日記】


例えば、個人集団の収益確保の仕方としてのインターネットの活用法は?



しばらく前に、ウィリアム・ヴォーリズの建築展が汐留のパナソニック電工のギャラリーで行われていた。

ヴォーリズの仕事ぶりから
1・地場の近江八幡では(あるいは日本のどこでも)、当時ヨーロッパ建築を設計できる者が  居ず、需要さえあれば仕事の独占が可能だった。
2・ほとんど実務もなくはじめているが、確か1級建築士事務所という看板を掛けていた。設計能力の認知が実績主義だったようだ。
3・建築への思い(愛)は伝わってくる。

というようなことが、感じられた。
ヴォーリズ展はかなり話題になった(過日の当NPOデザイン協会の座談会に来ていただいた福原様(資生堂名誉会長)の話にもあったくらいだ)。
建築家でも知っている人は以外と少ないのでは、とは思うが、明治末期(1905)にプロテスタントとして布教協力が目的の英語教師として来日、まもなく夢であった建築に入ってゆく。その仕事は膨大であり、布教にとどまらず、地域事業やメンソレータムの輸入事業にまで展開した。(日本に帰化し、太平洋戦争を跨ぎ、昭和39年(1964)に83才で没した。)
なぜ、急にこんなことを書いたかというと、現在の設計業界との比較からだ。
現在ではこんなことは夢だ。


また同じ会場で現在は、「坂倉準三展」が行われているが、これもある意味で、同じことだ。坂倉については多弁を要するので改めて書くが、嫉妬や不満で言うのでなく、恵まれた環境にあったのは確かなことだ。



設計環境は激変した。
現在の設計業界をどうするかにつては、考えれば考えるほど、自分の無能を嘆かざるを得ない。
考えてみると、建築家の夢見た職能形態は、工業デザイナーの辿った道と同じ隘路に陥ってきたように感じられる。これはもはや、経済活動としての職能の確立問題ではなく、国の文化行政の問題に近いと言える。
9月25日には、このことで司会進行しなければならず、この問題にはインターネットのシステム利用や、個人を基軸にした法改正などの課題も背負い込んでいて、とても難しい。
まずは芦原太郎さんや、南條洋雄さんの経験談を引き出しながら、じぶんを納得させてゆく所業も求められよう。