2019-01-01から1年間の記事一覧

言葉の理解に大差

テレビの番組で、筋委縮症と言うのか、動きが取れない若者の話があった。 食事中に偶然、これを見ていて「こんな病気があるのかね」と言ったら、女房が突然、怒り出した。「そんな言い方は無いでしょ!かわいそうにとか、そう言うべきでしょ!」と。 こうい…

地中海世界のバランス感覚

前もって一言:この「ダイアリー」は「ブログ」とセットになっているようです。つまりブログが2つあるのです。で、時々、両方に書いています。 ベース変換を求められた後、この事を会社に問うたのですが返事が貰えず、そのままになっています。過日、外から…

おかえり/美しき明治

昨日21 日、府中市美術館に行き、「おかえり/美しき明治」という展覧会を見た。 今頃になって初めていく美術館。車で予定していたが、家内が行かないと言い出し、それなら最近、健康を兼ねて改めて目覚めた電車で、と思ったが、京王線などに近年ほとんど乗…

やはり事業への経済的サポートが必要だ

建築家やデザイナーは、自活出来る職業と思われているのだろう。 当人たちも自分の努力で稼がなければならないと思っているのが現実だ。とすると、有名、無名を問わず、自助努力による稼ぎ高の多い方が優秀だという視点が出てくる。 一方、音楽家のことを考…

何もせずに時間だけ過ぎていく

本当に人生が、日々、無意味に過ぎている、という実感がした。 何もクリエイトしていない。というより、自分史を越える表現が出来ていない、ということか。 これは、人生の無意味を実感しているということか。 間違っていてもいいのだから、行動を興すべきだ…

地域に密着して生きるのが建築、と現実に還る

建築の事では最近語っていない。 「日本型規制社会と知的生産」のテーマでこの春に語り合ったように、建築設計業務以前の問題に囚われてきたからでもあるが、設計姿勢について感じていることが無いのではなく、今や、この問題があまりにも大きくなり、語り切…

気付けば3層の意識が同時進行

今朝、気が付いて家内に言ったこと。 おのが意識に3層があり、それが「お前のように簡単には行かない。だから忙しい」と言ったことによる。 上層が日常の生活、特に健康管理面での気の廻しよう。 もともとこの話題、「胸のレントゲンを最後に撮ったのはいつ…

可能性と限界

難しい言葉を出してしまったが、今日この頃の自覚を数言で言えば、こんな言い方になるのか。 このところ、本ブログに記事を書いていないことも、関係している。 自分の抱くある頂点のようなものを意識するようにはなっているが、一方、それが全く無意味であ…

日経新聞電子版に紹介記事が

4月だったか、(公財)発明協会の「全国発明表彰」で、意匠部門が100年目にして始めて「恩賜発明賞」を頂いたが、その時の想いを新聞社に伝えていたところ、今になって電子版で紹介してくれた。僕が意匠部門の審査委員長だった。 対象は、日立製作所の高速鉄…

「インスタ映え」の背景

([ダイアリー」の方にも記述を。「ブログ」とコピーを共有することも考える) 「インスタ映え」という用語と行為が流行を越えたと思う。 この意味の持つ問題は相当深いだろう。 写り込みばかりに視点が行く意識問題もあるが、これが情報の渦に巻き込まれ、人…

再録

この前の最後の「ダイアリー」で、二つ窓口があるので「ブログ」の方にします、と記している。 念のため、最近の「ブログ」タイトルは以下のようです。 近況の軽い説明 6/10 記録 6/16 現代にダ・ヴィンチを連れてくる 6/22 最近の出来事を報告(七夕…

ダイアリーでなくブログ

ご案内 何度か案内していますが、「はてなダイアリー」の終息でブログへの移転を求められ、手続きをしたところ、「ダイアリー」と「ブログ」に二連建て構成になっています。主催者に問い合わせたところが返事がありません。 ホームページや私の個人名などか…

デザインの終わりの次

デザインの終わりが進んでいる。 デザインの再出発はあるのか。 これまでどれだけデザインの問題に悩まされてきたことか。 カタカナ言葉が示す問題の大きさは簡単には説明できない。 問題の多くは、芸術の解体と科学的合理主義の行き詰まり、それに経済万能…

混乱のまま

「はてなダイアリー」が終業するというので、慌てて「はてなブログ」に変えて貰った。 移転した「はてなブログ」をクリックすると、そこに「はてなブログ」と並んで「はてなダイアリー」がまた、ある。これまでの10年余りのブログと思っていた「ダイアリー…

「ブログ」と「ダイアリー」の混乱

こちらが「ダイアリー」? 「ブログ」にも書いたが、〔ブログ」に移転したのにまだ「ダイアリー」がある? 当面、よく判らない。両方に書くような不合理さは避けたい。

生きる目的などは無い

フォーマットが変わったことで、たじろいでいる。 この様式に書けば、ちゃんとアップデートされるのかという不安が付いてまわる。 ページ・リビューも無くなったそうだ。 このまま、このブログに書いていていいのか、という不安もある。 いずれにしても当面…

追い詰められ、言葉に頼る

何のために表現するのか ―「たかがデザイン、されどデザイン」程度の意味はある歴史の過程で― しばらく前の夕食時に、家内が見ている契約テレビ番組AXNミステリー・アガサ・クリスティーの「検察側の証人」シーズン1:1,2部をしばらく見ていたら、あまりに…

驚きの転換

1月23日に描いたのを最後に、この「ブログ」が書けなくなった。 というのは、後から分かったが、この「ブログ」を止めることにしたかららしい。 実はブログは「ブログ」ではなく、「ダイアリー」だった。 驚いてあちこち検索しているうちに、リセットに出会…

これまでの日本から脱皮したい

格差社会を維持する規制社会としての日本 いつまでも元気な作家、五木寛之が(笑)言っている。 「われわれの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、現実は格差社会。この問題は、格差があることではなく、格差が固定化されること…

失う家具への想い 

失う家具への想い 「何ったって、脚が4本あるからなぁ」とミラノでの師、カルロ・バルトリは僕に向かって呟いた。 家具、特に椅子のデザインについては、バルトリ事務所でその面白さを教えて貰った。カルテル社のための全プラスティック成型による椅子は、…

くつろぎの午後に

あれ? ちょっと不思議。普段、見掛けるより洒落た男女が多い。 ここは東京都庭園美術館。天気も良い連休の最終日。 考えるまでもなく、この展覧会が 「エキゾティック×モダン/アール・デコと異境への眼差し」 というので、ファッション系などの関係者が少…

新年に当たり

新年からだいぶ経ってしまったが、今年もよろしく願います。 実は、書くべきことは山のようにあるという気持ちだが、感じ方が複雑になっていて、簡単には書けなくなってきている。 そのわけはどうも、読んでもらうには「読んで良かった」という気持ちににな…