女性を抑え続ける歴史

建築家協会の地域会での定期セミナーに参加できなかったが、今回の「建築を女性の視点で再考する」テーマを考えているうちに、以下の様な文案になった。

 

女性を抑え続ける歴史

 

いつの間にか高齢化。そのせいか、「過去」が何だったのか、関心とこだわる年となった。

そこで、「女性の視点」への建築や建築家の想い以上に気になるのが差別の意識。

私事だが、母親が60代のある時、「離婚する」と言い出し、止めるのに苦労した。

それは、あまりにも遅くなって自我の自由を再認識し、夫から独立したいと思った気持ちの表れだったのか。思えば、戦中の護国奉仕から戦地の夫を想い、家と子供を守り、生きて帰った戦後は夫の会社一途に従ってきた。しかし定年になった夫は家で我儘を通し、母の居所が無くなったのと、子供が独立し出し、初めての余裕がこの気持ちを生んだのではないか。そこには、世間に大正ロマンの残影がまだ残っていた最後の頃におくった青春が思い出されたこともあるのかも知れない。

これは家や街への想い以前の問題だし、個人的な夫婦間の問題で、女性差別の問題とは違う、という人もいるかも知れない。しかし2人が言い争いをしたのを見たこともなく、仲が悪いと思ったことも無かった。言い換えると母は、耐えて生きるのが女の宿命、とずっと思い込んできた節がある。差別は、女性を抑えて見る社会、それに乗る国の形の継承だったのだ。父もそれに乗ってきた。

この小さな事例から考えても、如何に日本社会が女性を封じ込め、それが公然と社会の底流に残って来たかを思い起こさせないか。