2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

エンブレム決定余話(その2)

ついでなので、もう一つ、文字通りの「余話」を。 どうでもいいようなことだけど、この応募競技の審査員団のうち最少で3人は既知の人脈だった。その意味でも身近に感じられるようになった。 最少と言うのは、テレビでちらと紹介された審査会風景から見えた…

エンブレム決定余話

仲間が 「うれしいビッグ・ニュースだ!」 と。 決定されたデザインの作者は、最近亡くなられた知人の息子さんだった! 野老(ところ)朝雄さん。 車を運転中のラジオ中継で、決定とその後の表彰式の中継をやっていて、アナウンサーが「ところさん」と言った…

エンブレム問題の帰結

オリンピック・エンブレムの最終候補4案が公開されて 恩賜賞財団発明協会の専門家審査委員会で、電気分野専門の名誉教授が僕に語り掛けてきた。 「どうですか、大倉先生。今度のエンブレム案が発表されましたが。私は何か、あまりいいような気がしないんで…

ザハの急逝によせて

止めさせられた計画案の残滓 ●翌日に、本ブログでの過去記事についてのデータを最後に追記しました。 「新国立競技場旧計画案(設計者) ザハ・ハディッドさん急逝」 どういう訳か、メディアの記事を読むと何か言いたくなってしまう。 今朝の朝日新聞にザハ…

ボッティチェッリ展に駆け込む

【日記】 ● 後日12日、「創作想像に金銭は関係ない」などに再付記説明あり。 【後日付記】「ボッティチェッリ」は一般的に「ボッティチェリ」と書かれている。スペルはSandro Botticelliなので、イタリア語の発音感覚では「ボッティ・チェッリ」と言うはず…