現代美術の行き詰まり

【日記】  補記:2015/02/22

よくぞ、大真面目に報道してくれたものだ。
夜、8時からのNHK「日曜美術館」(再放送らしい)を見る。その印象である。決して悪い意味ではないが、実に複雑な気持ちなのだ。後を続けて頂こう。



韓国の現代作家で、現在日本在住のLee U-Fan(李ウファン=漢字が出ず。以下、李)が「ベルサイユ宮殿に巨大な虹のアート▽日本の現代美術をけん引する壮大な挑戦▽安藤忠雄村上隆語る」(朝日新聞TVガイドより)とある。

李はまじめな作家だと感じる。作品も大真面目だ。
このたび、フランス政府から招待されたのか、途中から見たのでわからないが、海外での披露のようである。
鉄板やステインレス板を使って、大きな岩石と対比させる。それを組み替えたり、一列に並べたり、アーチにしたりする。ベルサイユの広大な庭でそんなことをやっている。
石の足元の白砂利敷きに勝手な方向に影を塗ってみたり。ステインレス版や鉄板を木立の中に置けば、写る影で自然との共鳴を感ずるという。自分でもやるなら、こういう設定は好みだから、こんなものになるに違いない。彼の意図はよくわかる。


こういうものを見て現代美術を語る時、これもそうだし、あれもそうだが、今は一つの大きな壁にぶつかっていると思わずに居られない。
やっている本人は構わない。馬鹿げたことだと思いながらも(思わずにやっていても)、これを「アート」としてテレビ報道までされるなら、そしてこれを買う人が居るのなら、やれる本人はやればいい。一種のショー・ビジネスだ。
それに、これはこれでこれを招待したらしいフランス側の現代芸術にかける意欲も大したものだ。で、どのくらいの経費でどこが負担したのだろうか。それらの仕組みを知れば、ずっこけるかも知れない。それは展示・運搬経費を作家の側で持つ、というような場合も含んでだ。
これはイベントである。それをサポートする安藤忠雄村上隆のコメントが出てくるが、「業界内既得権益者からのサポート」以上のものではない。


現代美術は本当に行き詰った。テレビはそんな裏事情を含めた状況のことのためには報道しない。
今、言ったように、やっている奴はやればいい。それがどんなものだったかは歴史が証明するだろう。
ただ、他の作家との区別がオリジナリティの出発点だからとして、その観点から現代美術を見ると、ここまでいろいろのことをやられてしまうと、もうやることがないといってよい状態だ。それが現代美術は行き詰ったという理由の大きな根拠でもある。村上隆の人形も、草間弥生の水玉も、他と区別するためのアイテムで、それに全生命力を賭けているのだ。見つけたオリジナリティのためにも、それに賭けるためにも、常人の生活感覚ではとてもやっていけないところが現代美術の世界を現している。
作品に対して、どんな「解釈」をつけても美術なら可能である。なぜなら、そこにあるのは言葉ではないために、どうとでも言えるからだ。メディアがフーンと唸るようなこと(見て得体の知れない不安を、「言葉で判るように」説明してくれること)を絡めて言えれば、成功だろう。


オリジナルの表現方法が見つからない以上、というより、不自然に独創性を表出してしまうなら、むしろ創作しない方が良いくらいだ。無理がたたって、大抵の場合は見苦しく美しくない。
弄り(いじり)回しているうちに何か見つかると思ってやっている者はやってみればいい。2015年の2月の頭頃に、野見山堯冶(名前要確)をテレビ番組で見た。まさしく画面を弄り回しているのだが、残念ながら美しいとは感じなかった。でも僕は、経験の蓄積によって出来る「何かの知覚」への評価を軽視する者ではない。