アートディレクターの仕事

【日記】

アートディレクターの仕事



昨夜の「カンブリア宮殿」を見た。
新聞のTVガイドには「激売れ!コンビニ商品開発の裏▽あの名門が大変身で驚きの結末…企業殺到!佐藤可士和」とある。「コンビニ商品開発の裏」とはセブン&i ホールディングのことであり、「あの名門」とはヤンマーディーゼルのことだ。
佐藤可士和の名前は数年前から聞いているが、このような本格的な取材番組で、やっていることを見て聞いたのは初めてだった。何しろ、アートディレクターの仕事に直接関わることが無くなってだいぶ経つので、そちらにまで注意が廻らなかった。

で、じっくり聞いてみて判ったのは、彼のやっていることは本来「見える方で」企業の全体のイメージポリシーを創っていく上で、当たり前に必要なことを当たり前にやってみせたということだった。もちろん、彼が言うように、その当たり前のことを当たり前にやってみせることが難しいというのは正鵠をついているが。
やっていることは例えば、ホンダの「N box」を、歴代の中で軽の黄金期を創った「N360」にちなみ、Nを大切にしてすべての要素をNに収斂させるといったことで、あの「NEW…NPPON、NORIMONO」というコピーがそれで、最終的にはNの字体のとんがり部分にどれだけのr(曲線)をつけるか、といったことだ。
「話し合っても判らない」のは問題にならず、「話せば判る」でさえも正確には伝わっていないことが多く、その場合は「存在していないのと同じだ」と彼は言う。
ただ、これまでアートディレクターの仕事といえば、企業の宣伝部に呼ばれて、結局、トップでしか判断できないことを何とか一部所でやろうとしてうまく行かなかったのが実際だったのではないか。
時代がデザインへの理解を深めたというのか、企業も技術革新的な投資だけではやることが無くなって足下に気がついたというべきなのか、市民(市場)の文化程度もどんどん上がって来ているというようなこともあるのかはともかくも、デザイナーの側にも、おのがアートディレクティングの仕事を誤解していたり、作家気取りで企業目的や市場のニーズを理解していないことも多々あったのだろう。また企業向けの経営判断にはいいセンスをしているが、表現としてのデザインセンスが悪い、あるいはその逆などのアンバランスが命取りになっているデザイナーもいるだろう。いまやアートディレクティングは「宣伝とは概念が違う」。
時代の熟成の中にあって、佐藤可士和のような存在が浮き彫りになってくるのは当然のことであった。その意味では、デザインが企業経営の中核に認識されたという点で、おおいに喜ぶべきことだと思う。「現代の伝道師」という称号も頂ける。



それにしても、ユニクロ、セブン&i ホールディング、ヤンマーディーゼル、ホンダ、日清食品…と来たら、日本の著名な流通製造の大手企業が軒並み「佐藤可士和詣で」をしているみたいじゃないか。それもテレビで見ている限り、皆、社長や会長だ。そして皆、佐藤を持ち上げている。ここに日本独自の、スターになってしまうとみんなが押しかける、という図式が見事に出来上がっている。
すでに言ったように、この仕事から離れているために平気で言えるが、彼が能力があって才能もあるのは十分認めるとして、彼以外に同等かそれ以上のアートディレクターが日本にいないのか、と言えばとんでもない。優秀な者は20〜30人は居るだろう。ただ残念ながらこの世界は、何らかの仕方で「お墨付き」が貰えず、部分をやっているのでは企業の実績としてデータが出ないし、いつまでたっても認めてもらえない。つまり宣伝部に行って、部分的な仕事に預かるだけなのだ。あるいは電通博報堂のようなところが全部仕切ってしまっていると聞いている。企業のトップが気がついて、自分から探すのでなければ、アートディレクターの仕事は佐藤可士和のようにはやれない。つまり「宣伝」、あるいは下請けの域を越えられない。企業のイメージ・ポリシー確立はトップ必然の責務だが、人選まで自分の仕事と思っている人は少ないだろう。
だから、そのトップが自らアートディレクターを育てる気が無ければーというより育て方も知らないだろうから、というより、そんなことを考えたことも無いだろうから、このような現状が現れるのだ。クリエイティブな世界では、どこでも見かけるような風景ではないか。
この番組を指を噛んで見ていたグラフィック・デザイナーが何人も居ただろう。