「限界国家」日本

【日記】  7月30日に追記  8月3日に追記して締める。




経済至上主義の限界に近づいていると言うが・・・




いろいろの思いが交錯するが、分別できるようなものでなく、相互作用から生命力への重圧になってくるように感じられる。

前の日に、藻谷浩介氏のことを書いたが、思い出して、保存記録から「限界集落から考える『限界国家』日本の再生」を再読していて、追い詰められたような実感があり。恐ろしくなった。
この記事は、昨年暮れ(2013年)の「新潮45」12月号での山下祐介氏との対談で、そのタイトルから引きつけけられていたものだ。
ブツブツ言っているより、引用してしまう方が早い。



藻谷 :・・・山下さんの書かれているとおリ、そういう構造を作り出しているマネー資本主義のシステムには、特に運営者も、固定された受益者もいないということです。
山下 :システム自体がもはや巨大化・複雑化しすぎていて、個人の手の届くものではなくなっていますからね。
藻谷 :個人がお互いに牽制しあって、ブツブツ言いながらも(笑:大倉)、結局は日本人皆で一つのシステムを回しているだけ。しかもそこには中心というものがありません。・・・
こういうシステムは日本だけでなく、世界を見渡せば、さらにその先にいってしまっているようなところもあります。たとえばヨーロッパだと、もう単位は国ではない。・・・・・アメリカにいくと、「アメリカのシステムを守れ」というのは、「大企業が個人から搾り取るシステムを守れ」、「大資産家の財産を守れ」という意味でもある。大企業の一部の株主にお金を還流するためのシステムを、多くの個人の犠牲の上で、延々と回し続けるという仕組みになっているのです。・・・
今暴走しているのは、際限の無いお金の増殖それ自体が、自己目的化したシステムなんです。
山下 :・・・結局、我々は資本主義という宗教の中に生きていて、集団は妄信しながら何かに向かって動いていく。・・・
藻谷 :・・・あなたが生きていくために、あなたの暮らしを犠牲にしましょうって、それは話がおかしいですよね。「生きるために経済成長しましょう」と言っているうちに、成長の方がいつのまにか目的になって、「経済成長のために生きよう」という主客転倒を起こしているのです。


という具合。そこでサブテーマが、「『効率』をつきつめるおかしさ」に移り、


藻谷 :・・・先ほど大都市圏の「効率」重視についての話が出ましたが、限界集落も、まさに、「この場所は効率が悪いからいらない」と切り捨てられる対象になるわけですよね。ただ、そういう考え方を突き詰めると、一体どうなるか。・・・結局、「全員、東京に行けば?」ということになるんですが、それを言い出すと、実は「世界の中で、日本はいらない」という話になります。だって、世界各地からこの東の端の島国にわざわざ資源を運んできて、製品を作ってまたもとのところに戻すなんて、エネルギーの無駄ですよね。しかも、極めて天災の多い列島に、これだけの大きな生産力、経済力があるのは世界経済のリスクで。だとしたら日本はなくなったほうがいいんじゃないか。・・・
山下 :効率とか、何が無駄かっていう話をつきつめていくと、結局、「生きているのが無駄」になりますよね。


この辺の議論は、自分の考えとも近いので、続けてみよう。


藻谷 :まさにそういうことですよね。効率と無駄は相対的なもので、絶対的な線が引けるものではない。今から2000年以上前、荘子が「無用の用」を指摘したころから、不変の事実です。
ですが、「何のための効率か? 普通に暮らしを営むためでしょ」とわかれば、現実的な判断はできる。・・・


まったく同感である。ということは、ここから「・・・まだ残っているからには、何か存在理由があるのだ」と考えて、「生態系の多様さと同じで、現にそこにあるものを、浅知恵で否定は出来ない」として、「多様性が保障するもの」へ移っていく。
そしてそこにある経済至上主義の限界に至る。



山下 :・・・実際、日本の社会は、多様にできていたと思うんです。
各県、あるいは昔の各藩ごとに、言葉も違えば文化も違う、食べるものも少しずつ違っていて、その中で、それぞれ多様に暮らすことが出来ていた。それをどんどん切り捨てていくと、そうした多様性が失われていって、何か一つの価値やイデオロギーに従わなきゃいけないようになってきます。
・・・私は・・・社会全体の制度設計を見直すことも必要だと思います。・・・今は経済至上主義をベースにいろんな制度が決められてしまっている。その中で、精神論だけで地域再生を頑張るのはそろそろ限界がある気がします。
藻谷 :今では日本全体が限界集落のようなものですがね。・・・このまで行けば75年で14歳以下が消え、100年で64歳以下が消えるペースで、人口が減っているのですから。限界集落を他人事だと思う人は、自分自身が「限界国家」に住んでいることを気付いていない。・・・

(山下祐介:首都大学東京准教授、 藻谷浩介:日本総合研究所主席研究員)



この話の恐ろしいところは、地方に居て自給自足をはじめ、自活しているような場合は、かなり安静に聞くことが出来そうだが、東京の真ん中にいて、あらゆる経費や生活費がすべて金銭で追いかけてくるような所での「限界国家」認識の難しさだ。
この社会は変えねばならないが、相手が茫漠としていて見えない。というより、経済的利益が上位数パーセントによって占められてしまっている格差の進行を政治的に止める手立てがない、ということかもしれない。つまり、ブツブツ言っていないで「稼ぐ」ことしか、周囲の了解がないことだ。
自分のもっているメンタリティに「生きる目的は稼ぐこと」がない以上、逆にあらゆる局面で、経済的不安が生の全面を占めてしまうのだ。