ノマド化する社会

【論】




どうすべきなのか、これからの建築家


職能上は外部の人でも、比較的よく、建築家という専門職に通じる話が出来る人は居るものだ。
里山資本主義」という本を書いた藻谷浩介という人との話が、専門家機関誌(JIAマガジン305号)に出ている。
言っているポイントは「現代の化石燃料文明の快適性をある程度維持したまま・・・・狩猟民、採集民の世界プラス近代技術のような方向に戻れないかという大きな仮説があり・・・」、「それをノマド化している建築の人たちや一部日本の人たちは本当は気がついているはずです」ということ。


ここで「ノマド」「ノマド化」って、一体なんだろうと思われる方もいるだろう。
英語では「遊牧民」ということらしいが、援用して用いられている。
この藻谷氏によると、
「個人の生産力が非常に低くても社会全体の生産が維持できるできるようになってきたので暇になり、個人でできることがいろいろ出てきたのです。そうすると、人間のあり方が、農業、工業と集団化していったのが、ノマドに戻ります。誰かが生産している富を、うまく理屈をつけて社会のモラルを壊さない範囲でノマドをやっていられるようになってきました」
というように解釈されるのだ。



ところで、この人の言う「ノマド化」は、言葉が流行語化しているようにも受け取れるが、バブルの真盛りの頃にも聞いた覚えがある。その上でだが、個人的には近未来社会の人間生態を現すのに、本当に適切な用語なのか、いささか疑問が無いわけではない。こちらの捉え方が硬いのかもしれないが、暇が出来た、ある程度知力を備えた人種が「遊牧民的」とは思えない。その日、その時の天候や諸事情などによって行動を変えたり、しなかったりして、その場の自分の思い通りに動く、というのは判るが、頭の中身はとても「遊牧民」ではない。それを承知でカタカナにしているのだろうが、なにかもっと良い言葉があるのではないか.


もう一つ気になるのが、「うまく理屈をつけて社会のモラルを壊さない範囲で」という言い方。あちこちで似たような条件付譲歩とでもいえる発言がある。 現在の快適性を壊さないで、という気持はわかるが、ある意味では当然で、いまさら言うことでもあるまいという気にもなるが、それだけ社会変革は難しいからという含みがあるのだろうか。

(後述)