昨日の続き

昨日の続き
国立新美術館開館記念展の「20世紀美術探検」。
タトリン、ロトチェンコ、カッサンドルなどの後、突然、ニーヴェルソンやティンゲリーから、ウェッセルマン、リキテンスタイン、ウォーホルになってしまうのには疑問があるが、第二次大戦とその後がこの空白を作ったのだろうか。多分、この間の「アートとして認定されるまで」の時間が作品の認定を怠った、つまりコレクションもしなかったということなのだろうと推量してみた。
後半はつまらないと思ったが、買ったカタログを見ていたら、最後の方に出ているアンドレア・ジッテルの紹介が目に付いた。
均質な大量生産の中で、個性やアイデンティティが失われてゆく事に危機感を抱いたジッテルは、個々の生活条件に合わせてプロジェクトを展開する、とある。大量消費社会のジレンマを鋭くとらえながらも、それを真っ向から否定するのではないというところも含めて、僕の向かう視点との近似が見られる。
それにしても彼女が第二の仕事場にしたという、カリフォルニアの街からちょっと走らせると(?)人も住まない砂漠に行きつくというサイトは素晴らしい。自然の極端な変化は、個人の意識を鮮烈にし、創作意欲をかき立たせると思うからだ。ライトのタリアセン・ウエストもそうだが、何も無い荒々しい自然は人を本当の生き方に対峙させると思う。そこが灼熱の場であろうと。
空間の広がりと暑く乾いた気候への希求は無いものねだりなのだろうか。

更に、この展覧会で興味を引いたのが、ウシュトフ・ウディチコの「ニューヨークのポリスカー」とジョージ・マチューナス、ロバート・ワッツらの「箱入り小物」だ。ポリスカーのクリエイティブ・コンセプトはまさしくプロダクト・デザインのそれだし、
「箱」はこの場合、単なる偏屈者のコレクションのようなイメージしかないが、僕には「箱」の可能性が見える。
これらの展示を見ていて、「箱で、この秋には勝負したい」という思いが募ってきた。