現代美術の発展/黒川紀章の仕事

本日、国立新美術館を訪問。
思ったより良かったのは、現代美術の発展をセザンヌから始めて、立体派、ロシア構成主義からバウハウスまで繋げて、現代まで持って来た展覧会。もっとも途中から、具体的にはマン・レイ辺りから後のなるとちょっと空中分解気味だった。アメリカの現代美術が加わってくるとこうなるのだろうか。後半の招待作家たちの仕事には興ざめ。いかに現代が芸術家にとって、主体的に生きる事が難しいかがわかる。
建物。これは大々的な回顧展(?)を併設している黒川紀章の仕事。何と言おうか、過日、パリでK.ブランリー博物館を見た後でもあるからだが、ちょっと古い。褒めるとすれば明確な導線プランと大きな空間が救い。展示室をユニット型に並べる古典的な手法はやはりそれだけ言うことがない良さがある。ビルバオグッゲンハイム美術館で感じた、外部空間に規定される展示室の手狭まりな印象はここには無い。
ファサード(ガラスの曲面壁)は骨組みがうるさい。等高のトップ・ラインも最近の美術館ではあまり見かけなくなった。
個展の方は、よくもここまで大きくやったというスケール。今回のために少なからぬ模型は新しく作ったのではないか。しかし個人的には黒川紀章の仕事には疑問が多い。メタボリズム時代の提案は実際に建設されたら、技術、コスト、生活する人間心理のどこを取っても、とんでもないことになっていたはず。それぞれの時代のそれぞれの仕事に気になることがある。中銀カプセルマンションの帰趨がそれを示している。
とは言え、ある時代を切って冒険的な仕事、スケール・アウトな仕事に馳せ参じてきた努力と成果には敬服する。それから建築家の職能展開については聞くべきものがあると思うが、どういうわけか、これだけの人をもっても建築家全体の職能向上には繋がっていない。