*スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー

スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー

(sketch of Frank O. Gehry)




真似(まね)の話から。
建築の基本に忠実な学生ももちろん少なくないけれど、ここ数年、建築デザイン系学生の自主課題となると、一番造形的に影響があるのが、ザハ・ハディッドかもしれない。細い柱をランダムに建て、しかも全部傾斜している。壁もこの調子だし、平面プランも殆ど方形が無く、刃物のようなラインの組み合わせが際立っていた。
しばらくおいて、フランク・ゲーリーの匂いのある課題を出す学生が出てくる。
そういう意味では、ユダヤ博物館からのダニエル・リーベスキンドと合わせて、建築表現前衛ご三家といえるのかも知れない。
ファサードがらみの提案では、ヘルツォーク&ド・ムーロン系や、ガラスの箱ではジャン・ヌーベル。
更にはノーマン・フォスター。ここらになるとディテール競争になってくるから、学生には判りにくい。
いずれにしても、建築メディアが追いかける結果でもあろうが、よくまあ、コピー・サンプルにされるものだ。
こうなると建築も流行の産物以外の何者でもない。


こういう話がイントロになるのは、「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」というドキュメンタリー映画が、しばらく前まで上映されていたことと繋がってくるからだ(渋谷東急文化村)。


フランク・オーエン・ゲーリーは、とても遅咲きの作家で、一般には、60才くらいまでは変な造形をする作家と思われていただろう。
このころの彼の発言に、確か、いかに人(他の建築家)と違う事に腐心しているかを語っているくだりがあったと思う。そして、建築雑誌も見ないようにしていると、語っていたように記憶している。

しかし、「ばらばらの要素はついに衝突し、融合しながら、全体としてひとつの不整形なオブジェとなる」(五十嵐太郎氏:上映カタログより)と評された時代がヴィトラ家具美術館で代表され、それが1989年だから、ちょうど60才だ。この辺で確証を得たゲーリーは97年のビルバオグッゲンハイム美術館になだれ込んで行く。
どこかで見た顔だと思ったら、リチャード・マイヤーがこんな顔してなかったか? ユダヤ人マイヤーについては、造形芸術方面に偉人・文化人が少ないと自覚していたユダヤ財閥が、総力応援していると聞いた事がある。とすると、ゲーリーユダヤ人か。確かグッゲンハイム財団はユダヤ人のものなのだと聞いている。もっと遡ればフランク・ロイド・ライトユダヤ人だったはずだ。そういえばライトの風貌もどこか似ている。


ゲーリーは自分でも絵が描けないといっている。そのためか、「次に生まれてきたら画家になりたい」と、個人的人脈による、このドキュメンタリーの監督シドニーポロックの編集インタビューで語っている。面白い発言だ。
ということもあって、彼はもっぱら、紙やダンボール、模型用角材などを活用して、縮小スケールモデルをいじり回して検討する。これを、XYZ軸を表記できるセンサータッチ・ペンで計測する。CAD時代ならのやりかたで、自分の模型を正確に計測出来るようになったわけ。


ドキュメンタリーでは分からないが、ビルバオの美術館は内部で構造を見ていると、エレベーターシャフト以外に垂直線が見当たらず、ここから基準線を起こしたのではないかと自問自答した。多分、工事用の仮設基軸を立てて計測したのだと思うが。鉄骨構造の一般的約束はほとんど無視されていたように見えた。内部撮影厳禁なのでそういう場所の例示が出来ないが、いくらCAD計算でも、ここまでは図面化出来ないだろうと思う、現場ならではのディテールがそこここに見えていて、工事費も日程管理も出たところ任せではなかったのかと疑った。例えば斜めに飛んできた鉄骨梁が掴まっている、これも斜めの支柱との軸が、どこも殆ど合っていない、と言う具合に。

つまり、こんなことでは、特にこの6月20日以降の日本の建築確認は全く出来なくなりそうな構造なのだ。ゲーリーの仕事は、まさしく内部空間を持った彫刻の考えだから、構造全体から先には考えられていない。それでよいはずだが、施行図はとんでもない事になるだろう。


上映会場で買った案内カタログには、これといった建築家の意見はなかった。
設計を内容から判る者にとって、ゲーリーの所業は羨ましいと思う反面、機能やコストまで考えるような人なら、評価に苦しんでしまうところがあるに違いない。
ビデオの中でも、「こういう空間の秩序を害する建築が、真似を増やし、増殖しないように戦わねばならない」ということを言っているジャーナリストがいることを伝えている。それを承知で、彼のやっていることは面白い、芸術的だと、設計依頼する資産家や団体がいるのだから、アメリカやヨーロッパは楽しい。


断っておくが、僕はビルバオを見た時に素直に感動した。これでいいんだ、と。
その上で諸々の思いから、以上に述べたような、とても複雑のものを感じたのだ。
この時の建築家ツアーの最後に、見た建築の個人評価ランキングをやったら、ビルバオは20人が出した中で、確か5番目くらいだったと思う。もちろん僕は1番に押した。