JIDAインハウス・デザイン研究会

What should they do, employed designers?



夕方から、マネジャークラスのインハウス・デザイナー(いつからか企業所属のインダストリアル・デザイナーをこう呼ぶようになって久しい)が集って、今後の事業について話し合った。


僕が出た理由は、昨夜のミッドタウン・パーティで栗原JIDA事務局長が今夜のこの予定を語り、できたら来たらということだったからだ。
しゃしゃり出て述べたことは、次のようなことだった。


ここには各企業の優秀な人たちが15人ほども集っている。今夜出られなかったが、声をかけた人も加えれば20人にもなる。
普通、こういうことで異業種のトップデザイナーが集ることは難しいだろう。これだけでも感動的なことだ。これを活かさない手はない。

ここでの集りは、自社の秘密や知財権保護を気にしたり、公益法人に集る事によって何か情報を得ようということではないだろう。
また、情報交流や修学のために集ってどこかに行くというのもいいが、それは一回一回で終りの線香花火になるだろう。

それはそれでやるとして、もう一つ、継続、後進への指導、社会的地位の向上、カタルシス(空しさからの脱却)のために、何かが必要だ。
例えば、良い悪いは別にして、「東京デザイナーズ・ウィーク」に、JIDAインハウス・デザイン研究会名義で参加し、各社協賛でスペースを借り、そこで若手の自社デザイナーに自由に参加させるなどだ。他に学生コンペもあろう。
このようなことをして行かないと、JIDAもインハウス・デザイン研究会も立ち行かなくなるだろう・・・と。


話は受入れられたと思う。
ただ、インハウス・デザイナーの特殊世界の様相も、改めてかいま見る事になってしまった。

企業のデザイナーにまつわる話では、物凄く仕事(与えられたデザイン・ワーク)に打ち込み、夜10時を過ぎても帰らない奴がいる。そうなるとその男に引きずられて残る奴が出てくる、とか、自分の作業台が生活のすべて担っている奴もいる、まわりにポットやカップを並べて・・・。ついには机の下に寝袋を持ってきて、そこに寝泊りしてしまう者もいる・・・など、凄いオタク的生活・仕事ぶりが語られた。


これで言えそうなことは、インハウス・デザイナーの少なからずは、一般的な意味での社会性や、企業を離れた個人としての存在自覚があまり無さそうだということだ。
生活や退職金、年金の心配は会社がしてくれる。好きな事だけ打ち込めるのだから、これで何が悪い?となりやすいのだろう。

そこを目覚めさせることが重要だが、そんなこと出来るのか。またわれわれがすべき仕事なのか。またマネジングの問題にしてしまうと荷が思い。
そうではなく、出来ることはデザインの魅力を後進に繋げて、結果、人材育成になり、社会性もあり、継続性もある事業を見つけ、参加してゆくことだ。



委員長の日産自動車の山下さんはこれらから、次回までのテーマの絞り込みを、「楽しむ(テーマをみつける)」「日本(の文化を伝える・・・)」「コンペ(を行なう)」「人材育成」の4方向から探ることとして閉会した。