自民総裁選、見た映画、警察

政治家が子供に見えてきた



自民党の総裁選がかまびすしい。
構造としてはもう見えているので、何をやっているのだろうかと思わずには居られない。

最近、経済人のいろいろな意見を聞いていて、納得できる近い意見は榊原英資氏、そう、あの「ミスター円」といわれた人の主張だ。
彼は構造を変えるには、ともかくも自民党から民主党に変えて見なければだめだ、と言っている。結局、ここに帰るのだと思う。
そうした目でみると、自民の総裁立候補者たちの言っていることは、本当にコップの中の嵐に思えてくる。

もっとも民主党もどうも頼りない。

ここから先は、また相当の長い話になってしまいそうなので、今日はやめておく。



そこで別の話題。
どうどうと書いてよいのか、わからないが, 家内と「Sex and the City」を映画館で見た。映画の方は実に堂々と、おばさん達(失礼)がセックス談義をしているのだが、自分の話として取り上げるとなると、どうも戸惑う。

先ほどTVで、若い警察官が、犯人や風俗営業を取り締まる、警察ものドキュメンタリーを見た後、ということもあるのだが。特に風俗を取り締まる警察の立ち入り検査を見ていると、善悪の境界が、言葉と言う法的体系に戻って考え直さないと混乱してくるような気がしている。

昔、流行歌に「早くお帰り、お二人さん。野暮な説教するんじゃないが、ここらは近頃、物騒だ」というのがあった。
これを聞いていて、どうも釈然としなかったが、その気持に通ずる問題だ。
それは警察の権限という問題で、これについての驚くような体験をイタリアでしている。
それは日本では絶対に体験出来ないようなハプニングで、そういうのをいくつか体験すると、この問題は「国家とは何か」と言う問題にまでゆく。
こういう視点から論じ始める、あまりに違う二つの国の話は、おいおいにするしかない。