山本理顕氏の苦渋

【情報・論】


設計事務所は請負業者だ」
和解になった建築家山本理顕氏の苦渋




専門的で硬い話ですが、しばらくのご辛抱を。



邑楽町(どう読むのだろう?)新庁舎設計コンペティション」で当選した山本理顕設計工場が、30回以上の住民ワークショップを重ねて、基本・実施設計を完了した直後、町長交代で「何の説明もなく」別の設計者に変えられてしまった話。

山本氏はこれを不服としてコンペ参加建築家に呼びかけ(たのだと推測)、25人が原告となって2006年9月に提訴。「建築家集団訴訟」と言われる。
この6月に、東京地裁の和解勧告を受け入れて終わった。
このことの持つ問題について「建築ジャーナル」誌9月号が、山本氏に話を聞いている。
そこには、そうだろうと思える深い傷があった。



山本氏はこの裁判で「設計者の位置は社会通念上でも、設計事務所=請負業者だ」ということがわかったという。
「建築に対する思想は自治体(この場合だが、住宅の場合などはどうなるのだろう?)の側にあって、設計者とはその思想に基づいてそれを忠実に仕上げる技術者に過ぎない」ということだ。

裁判官も当初は「コンペというのは営業行為じゃないんですか?」という立場だったらしい。
これでは、訴訟を起したコンペ参加設計者がむしろ、言い掛かり問題を起した犯罪者のようにも見えてくるだろうし、建築家の「権利」もまったく無視されるのは目に見えている。
当然、当選コンペ案をひっくり返した町会議員側が一貫して、「営業行為に失敗したからと言って、その対価を裁判で請求するのは社会通念に反する」と言うのも明らかだ。


ここには請負業者化する設計事務所、あるいはとっくにそうなっている事務所も「一方でたくさんあるだろう」と山本氏が言う根本問題がある。請負、あるいは下請でしか生きれないような設計業界の根本問題がここにあるのだ。「今の設計者の置かれている立場がそれほどひどいものだということ」だ。改正建築基準法にしても、設計責任ばかり強くなっているが、設計者の「権利」は守られていない。

ここでいう設計者の「権利」を、「『文化専門職』としての自律の権利である」と教えてくれたのが、弁護側に立って考えてくれた木村草太准教授(首都大学東京)だという。



ここで僕は考えたのだが、こういう設計者の「権利」の問題と併せて、「契約」という経済概念からも押さえておく必要があるのではないか、ということだ。それは日本インダストリアルデザイナー協会理事時代に担当した「契約と報酬ガイドライン」で発見した、「委任契約」と「請負契約」の区別とその活用の問題と重なる。これはぜひ「文化専門職」の明確化と併せて、25日の討論会(8月28日のこのブログ上でのご案内を参照下さい)で議論しようと思う。


もちろん根本問題は、社会通念として実体化しているゼネコンやハウスメーカーに見られる設計施工一貫性にあるのだが、設計料を別にしてもよいとしたゼネコンとの出江JIA会長の会議結果はどうなったのかも含めて、そこには企業の隠されたノウハウや、拭えない国民通念の扱い方が分からないという問題に手が付けられていない。


最後に山本氏は、「日本は設計者をつくづく大切にしない国だと思います。外国で仕事をするようになって、これほど設計者をひどく扱う国も珍しいと思うようになりました」と言い、更に吐き捨てる。「設計者を守る法律つくろうとしないと、いつまでもこういう状態が続くと思います。…建築団体が本当に自覚しないと前には進めません」


僕はこれまで、山本理顕氏の仕事(設計内容)にはむしろ批判的だった。同じような流れになった「小田原市城下町ホール」の問題(地元なのでいろいろ聞いている)も含めて、その理由はまた別の議論だが、この職能上の危機感表明には全く共鳴できる。実の自分の問題でもあるからだ。