建築家、工業デザイナーの将来2017追確認

【論】   

2017年1月21日追記
今、再読して何も変わっていないことを確認。まもなく出版のための原稿整理が始まるが、5年が無為に過ぎたことになる。

2018年5月7日再確認
ここ数日、ゴールデンウィークに事よせて、気抜けついでにところどころ古いブログ記載をめくっている。偶然、この日を開いた。もちろんタイトルが引っかかったからだが。
改めて、もう何も変わっていないな。確かに去年の追記があるから、直しているのだろうが。




それは15年後か、30年後か



昨日、桜まつりで連(むらじ)さんに僕が話したことを再録する。


我々の仕事のこれからは、大きく見ると、自分の周辺環境とその先にある「外界」の問題に分けられる。
自分の廻りとは身近な設計環境のことで、ここでは連さんが言い、僕も2,3年前にこれを聞き参同してきた、「日本版CABE」に相当する問題認識とそこでの戦略的活動に相当する。建築界の話だが。
「日本版CABE」とは、確認申請を決定する前に、審査に建築家が加わり、そこで行う「定性的な判断」(連氏用語。僕の言い方で言えば「感性的」か)を優先させるシステムを確立しようというもので、イギリスに先行例があり、それがCABEである。誤解を恐れずに聞き及んでいる原名を記載すると、Comittie of Architects for Building Environmentのようである。
ここまでは目的がはっきりしているのでポジティブに考えられる。


一方、「外界」とは、常に言っている、出来上がって日本の産業と社会の構造を支えている(政官財を含めた)認識力と、そこで知的中枢にあるある種の官僚の考え方(敢えて上記に関わる言いかたをすれば「定量的」か)がもたらす世界の問題であり、振り回される政治家たちとマスメディアのことである。これは経験上、工業デザインで得た観点が多く含まれる。
ここになると、どうもポジティブでは居られなくなる。


この両方の構造を合わせて認識しないと、設計者の問題は本当の意味でのポジティブな解決に向かわないだろう。
これを今朝がた考えていて、こういう問題は、残念だが、やはり一般市民に判ってもらえるようなことではなく、自分たちで建築家やプロダクト・デザイナーに語りかけて共闘を組んで戦ってゆくしかなさそうなのか、ということを感知した。幸い建築家については、現JIA会長の芦原太郎さんも「日本版CABE]での三会連携運動を模索しているようなので、その限りでは協力できる。
しかしそれは、20年、30年の戦いとなるのだろうか。




実は、今日辺りを境にひとつの心境に達している。
どういうことかと言っても、上の流れに沿ってはいるものの説明は簡単ではない。


一般向けにデザインや建築界の問題を判ってもらうことは非常に難しい。一般には、判りたいとも思っていないだろう。判るべきだと言っても始まらない。
これに関しては、福原様(資生堂名誉会長)のような方からも、「言いたいことは判るが、表現はとても難しい。よい解決があれば」との応援メッセージも頂いている状態。
出版しようと思って書いていた原稿の持つ問題の位置づけは難しく、一般向けに書くならその覚悟と、一般人に向けて何を言いたいのかを明確にしなければならない、ということだ。
さらに言えば、自分の欝憤の矛先が職能上の問題であれば、一般の人はついてこない。
欝憤は欝憤でいいが、それが一般人に共有されるような問題と意識でなければならない、ということだろう。「日本版CABE」を説明しても始まらないのだ。


そう考えたのは、これまでの内容をシャッフルして、一般人に判るような話をまとめてみようか、という気になったからだ。







以下見知らぬ広告