わかっていたライト

【論】  (6月7日に追記あり●印以降)


建築家F.L.ライトへの個人的再評価


ライトと言っても、建築家でなくても飛行機のライト兄弟もいるし、一般の方には誰のことかわからないに違いない。1900年代の50年あまり、世界の建築家のうち、日本でも最もよく知られた存在だった(1867〜1959)。
帝国ホテルを設計し、浮世絵のコレクションにも熱を上げたということでも日本に縁があるため、知っている人もいるかも知れない。


でも個人的には、大学生の頃、「やっぱりライトは凄い」などと言われても「へー」と思っていた程度だったし、15年ほど前に、傑作と言われた「落水荘」を実際にみても「そうか」と思い通りだった事を考えると、ライトに心酔している仲間のことがよくわからなかったというのが真情だった。
だから、ライトのことを知らない人がいても、無理なからぬという気持ちが強かった。


昨夜のテレビ番組「美の巨人」で、珍しくライトの最後の仕事である「マリン郡庁舎」をメインに紹介する番組があって、これまでの自分の考えがどういうことになっているのかを説明しておきたい気持ちに駆られた。


結論から先に言うと、やはり最も建築家らしい建築家だった、ということだが、自分の考えと、この回路が繋がるのに半世紀はかかったということだ。
ただ現在でも、その独特の三角や六角形、あるいは円弧で裁断された空間や形象、あるいはこれらのモチーフでプランニングすることを、「美の基準や価値」として評価しているわけではない(「アール・デコ」の時代があったことは承知の上)。 あくまで、前衛建築の本質である、地域特性を取り込んだ基本プランニングの新しさ、外からの景観や内からの眺めを考慮した上での造形力の確かさ、部屋空間の量、動線計画、光の取り込み方、素材の活かし方といった点への了解からである。


素直でないかも知れないが、これらの建築の本質を若いころ見抜けなかった、ということではない。どこかに、余計な装飾や計りごとがあって、それが判断の邪魔をしている度合いが強かったのだ。
それに、90になるまで生きたことにより、70才過ぎてからと、それ以前との創作環境の違い(個人もあるが、影響を与える社会的背景も言う)があまり読み込めていなかったこともあろう。そこにはこちらの老齢化による許容力の拡大のようなことも含まれて来るのかも知れない。
だから敢えてもう一つ、関係することを告げれば、僕の学生時代はインダストリアル・デザインの專攻生だったわけだから、シンプル・イズ・ベスト、ファンクショナル・イズ・ベストのモダニズム洗礼を受け過ぎていたこともあろう。


それはともかく、例えば先の「落水荘」について言えば、一つは見え透いた計りごとがあってそれが気になってしまったこと。もう一つは、見学してはっきり気がついたことだが、「天井が低すぎる」ということだ。
前者は、滝の上に建物を建てるという意味についてだ。景観的には「かっこいい」ものが出来るし、カメラ・アングルもいい。しかし住む人には滝は見えず、場合によっては水音や湿気に悩まされるかも知れない。日本人的かもしれないが、滝は眺めるものだろう。よほど作為的に考えないと、滝(と言っても落差は3、4mほどで、水量も多くはないが)の上に作る意味が弱まるのではないかと思えるのだ。
一方、天井の低さはそれまでの紹介写真などからはかすかに匂っていた(思い出せば、カメラの位置を幾分低く設定しているのではないかなどと予感して)が、実際に見て、その低さに改めて驚いてしまったのだ。しかも住人はアメリカ人カウフマン夫妻だ。
それを感じさせるもう一つの理由が、テラスに張り出した軒先の深さだ。ライトは内部天井と外部の軒裏を同じ高さで設計し全面テラス窓とし、内部からの目線の流れが自然に外部につながるようにし、しかも深くした。
これがライトの造形手法になっているが、そのことによって、天井面積が大きく見え、必要以上に低く見えてしまうのだ。これはライトにとって想定外だったのではないか。
しかしこう言うと、「そうであるからこそ、視線が外部に向くではないか。日本での下方視線も知っていただろうし」というような意見もあるのかも知れない。承知は出来ないが、本人がどう思い、どう言ったか知らないのでこれ以上は言えない。


実は後日談があって、この話を建築家仲間にしたところ、「ライトは小男だったんだよ」と教えてくれたのが林正樹さんだった。



さて、このように、ライトには妙なこだわりがある自分だが、それらを乗り越えてたどり着いたのが、前述した 「やはり最も建築家らしい建築家だった」 という感想なのだ。
そこには女性問題を含めて破天荒な人生があり、品行方正な人生とか、人間性とか言っていられないものがある。
さらに、フィリップ・ジョンソンが言ったとかいう、もう一人でやる建築家の時代は終わった、というような時代趨勢を経た上でのことだが、それでも、ライトの持つ、地に根を張った「建築家らしさ」には、それらを越えて捨てきれない魅力がある。
最後の仕事である「マリン郡庁舎」の映像を見ながら、現在もきれいに使われている庁舎のもつ前衛性やライトらしさを感じ、身勝手なノスタルジーでもいい、「すべてを許す気になった」。