懐かしの「サイレンサー」展

【日記】


懐かしのグラフィック系デザイナーたちが何をか言う


東京勝どき橋。周りが運河ばかりのこんなところの倉庫を活かしたギャラリーがあって、そこで古い(苦笑)主にグラフィック系デザイナーたちの作品展があった。*

出品者名は、浅葉克己加納典明、小西啓介、倉俣史朗(故人)、桜井郁男、長友啓典黒田征太郎、上條喬久、鋤田正義(不出品)、高橋稔、戸村浩、日暮真三青葉益輝(故人)、長浜治、椎根和伊藤隆道。
面識があるのは、このうちの数人だけだが、名前を聞いたことがある人も多く、何かとても懐かしい気がする。倉俣、戸村、伊藤(以上空間系)、桜井(CG)、長浜(写真)(但し当方の勝手な判断)を除き、ほとんどはグラフィック・デザイナーである。
もっとも、この「グループ展」を開催したのは40年ぶりなのだそうだ。どうりで。


いまだに皆さん、バンバン、仕事をしているみたいで大いに勇気づけられたが、この「世代」が持つ、なんとも言えないムードもしっかり味わされた。年令は聞いていないが、ほとんどが70才は越えているのではないか。とすると、この前の最後の展覧会は彼らが30才のころに行ったのだ。


どうして彼らを知っているのか。
デザイン分野には「8団体」と言うのがあって、長い間に陰に陽になんらかの関係や縁で繋がりが出来てきたのだった。


作品について全体講評すると、ニ次元から飛び出せないあがきのようなものから、ニ次元ゆえに表出出来る気安さ、身近さまでが見え、建築やプロダクト・デザインに関わっていると忘れてしまいそうな、自由な発想、個人的な思いが詰まっていた。
案内をくれたのはJAGDA(社団法人日本グラフィック・デザイナー協会)の理事長も務めた上條喬久君で、彼の作品は白紙の上にガラスペンだけで手書きのラインを、一本一本がぶつからないように描くという制約だけで進めた描画である。
そこには己が感性を、表現条件の設定によって、結果的に自己規制をする中で生まれる世界で探すという創作方法を追ったものだった。
他の何人かを見ればわかるが、感性を解き放つと称して結果的には単なる自己解体でしかないような、何も面白くないものを生み出す場合が少なくない。上條君はそれに逆らっているように見えた。


他には戸村君の「折りたためる絵画」が面白かった。帯状の赤青緑黄色といった透明カラー塩ビシートを10㎝位の方形になるように、両端を丸穴パンチでランダムに留め各部が回転するようにし、これを連続させたH2×W3m位の大画面が、全体として回転によりたためるようにしたもの。イメージとしてはモンドリアン、ヴァサーリと来たあと、戸村浩ということか。



ここでのグラフィックデザイナーたちの仕事は結局、純粋アートではないとしつつも、個人の創意を再優先している点では、コラボレーションでも組織活動でもなく、芸術活動以外の何者ではないと言わざるを得ない。個人の創造力を活かすという点では大いに共感するが、あくまでも個人でしかなく、この国での居場所の狭さを感じてしまう。


パーティ時の終りに全員がコーナーに立った時、スーツ姿でビシッと立つような者は当然居ず、ほとんどが昭和を戦ってきた老兵なんだなという印象を得た。それでも加納典明のように、「近々、銀座で個展をやるからよろしく」と威成のよい事を言っている者もいて、もし来年もやるなら参加させて貰いたいと思うような親近感を抱いたのも事実だ。
(* 中央区勝どき2−8−19近冨ビル倉庫@btf)