栄久庵さんのこと
【日記】
栄久庵さんのこと
「栄久庵」(えいきゅうあん)とはご実家で先祖が建てた庵(いおり)のことだったようだ。それが芸名ならぬ家名となった。ご自分でもなかなかいい名前だと思っていられるようで、このたび「栄久庵塾」(えくあんじゅく)の開始となった。
栄久庵憲司さんはインダストリアル・デザインという分野を確立した先達の一人であるが、普段我々が話題にする時は、その観点からしか問題にしていない。
しかし外部の僕らが長い間、見落してきたことがある。それは人を読む力ということだ。もう一つ、言葉への感性がいいということだろう。
先輩を肴にしてこんなことを言っていいものかと思うが、美術大学出身者にはほとんど要求することが難しい才能であることを考えれば、異例の称賛なのだ。
結果的に、日本に数多くあったプロダクトデザイン系会社で残ったのはGKデザイン機構位ではないか。しかも今や200人を超すスタッフを抱えているという。これには普通の事業感覚ではとてもやれない。
社会的に判りにくいことをやりながら、しかもその内容は正統派デザインでありながら(メディアや知財権商売でなく)、一方で如何に「儲ける」ことに専念できるかという矛盾と闘わざるを得ないことを考えると、栄久庵さんのような、ある意味での「あくどさ」が無ければ組織は維持できなかったのではないかと思えてくる。
栄久庵さんはこれを、生い立ちの過程で、死の世界に接することが出来たなどの挿話を通して、「手から離さないものがある」という言い方でその執念を語った。
「モノの世界」と「人の世界」という言い方もされたが、この区分とその融合には大きな課題がある。
これまでデザインにとっては「登り坂の良さ」が味方をしていたが、戦後の焼け野原を見て育った世代からみれば、人がデザインを理解しなければ仕事も来ないという事情があった。つまりイデオロギーが必要な時期だったのだ。そこでモノの民主化、美の民主化を目指し、モノの世界と契約したのがモノとの関わり始めだ。
そうするには、まず自分自身を疑ってみなければならなかった。心の中から出てきたものは外さないようにした。日本を救うには、つかんだものを離さないようにすることが重要だろう。そのためには自らの浄化が必要だ…心を合わせる…仏像と車のデザインは同じことだ…。
栄久庵さんらしい論の展開で、我々は振り回される。しかし、世俗と高貴、我執と涅槃の境地をいっしょくたにして救済させてしまうような世界は、我々には真似が出来ない。
我々は、自分で自分の心と真剣に向かい合うしかない。
(講話のメモからの書き起こしです。趣旨違いがあれば申し訳ありません)
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