新しいデザイン概念の提示は可能だろう

【論】


何か、立ち上げたいデザインの新概念


どうも、付き合ってみると、少しづつ違う。
もっともデザインの考え方、感じ方は、ここですでに「考え方」「感じ方」と言っているように、2分化してしまうことをみても、どこまでも違って来てしまう気配が感じられる。
「考え方」はデザインを論理的に把握しようとしているし、「感じ方」は感性的に捉えようとしている、と言えるからだ。


そんなベーシックな議論の上で、出来上がった組織には動態的なムーブメントが出来上がっている。
それでも、理事長、会長などのトップが「考え方」「感じ方」ですでに個人的なばらつきがあるのだから、その動態的な組織が、トップの思いによって色がついてゆくのは当然だ。


例えばJIDA(日本インダストリアルデザイナー協会)は、現浅香理事長と僕の間にそんな違いがあるわけではない。ただ、このまま製造業立国でいいのかという産業そのものの拡大と将来問題、ネット社会でのサービス概念の大変換によってデザイン概念も急拡大が起っており、認知対象や、交渉相手も変って来ているのではないか、ということに配慮し出すと、一人の理事長や取り巻きだけで解けうる問題ではなくなっている。60周年の記念事業も、シンポジウムなどで語ってもらうのは大いにいいが、そのままではJIDAとしての具体的なビジョンが見えて来ないような気がする(本ブログ昨年11/23「JIDA創立60周年、11/29「妹尾堅一郎先生と」を参照)。


今日はJIA(日本建築家協会)も新年懇談会があり、芦原太郎会長の話をきいた。話の前の休み時間に「これから祝詞(のりと)ですね」と言ったら、「そう、ぐちゃ、ぐちゃと」と、笑っていたが、こちらもダジャレを言っていたわけではない。スライドを入れての話を聞いていると、段々、「言葉と組織図に置き換えられた運営論」のように思えてきた。なかに建築基本法への期待が語れているのは良かったが、どうも主体的な組織としてのJIAのようには見えなくなってきたのだ。どう戦う?


どちらも、どうも、何かが微妙に僕の思いと違うのだ。微妙なら調整の可能性もあるだろうが、この微妙さが、レイヤー(表現層)が違うとでもいうのか、同じなのにどこか本質的なところが全く違う。 いや、少し違う、と言うべきなのか。デザイン概念への持つ視点の高さによって、それは巨大にも微小にもなるような気がする。


この、何か少しづつ違うんじゃないのかという気持ちが、新しい概念を打ち立てたいという気持ちを増殖させてゆく。
(関連テーマで明日以降に続く)