終身雇用制を捨てた犯罪

【論】


アジアの同朋が見る日本


マハティール・マレーシア元首相に聞く記事(「ルックイーストはいま」:朝日新聞1月15日)に、重いことが言われていた。そのことが意識に残り、忘れられなくなり、ここに書くことになった。


「日本が苦境にあるのは、経済大国への道を切り開いた自らの価値を捨て、欧米に迎合したからだ。例えば終身雇用制などに重きを置かなくなった。政府の指導や民間企業との協力関係はいまや犯罪視される」


というもの。
特に「終身雇用制への軽視」について、政治や行政、民間企業との協力関係が「犯罪」であるとする点だ。ここまで言うのは新鮮な驚きだ。
国状の自然の流れとして、こうまで断罪されるとは思っていなかったが、思い返してみると「やはりそうだったか」という思いが急激に強くなり、このくだりが忘れられなくなった。


確かに社会保障が、本当に国民の個人生活をベースに組み立てられていない状態では、給料を安くしてでも、安易に終身雇用制を放棄すべきではなかったのかも知れない。この方面は専門ではないが、雇い切れない企業には、国や地方自治体が終身雇用を代替わりするとか、何かあったのかも知れない。


確かに我々の就職時代には、会社に入れば「後の人生は何も考えなくてもよい」という心理が蔓延していた。この一般心理をサポートする意味での「終身雇用」を、これが不自然でない時代のうちに代替法を考えておくべきだった。


ここで訪問記者がさらに聞く。
―系列、行政指導、日本株式会社といった、欧米から批判されたシステムにあなたは肯定的でした。それらを捨てたことが間違いだと。
「大きな誤りだった」
 ……(中略)…
「確かにグローバリゼーションはやってきた。それは欧米のアイデアであり、彼らの利益のために考え出された。新たなシステムを採用すれば混乱はつきものだ。日本は国内の状況を斟酌せずに受け入れた。…」


そしてこう結論付ける。
「われわれが見習ったのは…米国の影響下にある日本ではない。米国はEAECに中国を含めたから反対した。TPPでも中国を排除しようとする。われわれは東洋の人間だ。自分たちの問題は自分たちで解決すべきだ」


ここにはますますアメリカの笠を着て臨もうとする現安倍政権への批判も含まれている。
ここに見る、どっしりと座った連帯民族性への熱い意識は、我々が忘れ始めたものだ。取り返しのつかない政治的混乱にある日本人にとって、ある意味で貴重な示唆を与える言葉なのかもしれない。
終身雇用がデザインも窒息させると思っていたが、そのデザインは、社会システムが安定している時にこそ大発展したと言えるのかも知れない。