正義の話をしよう―JIAへの提言
【論】
5月29日に予告しました、(公社)日本建築家協会の機関誌(JIA Magazine)への提言寄稿文が同誌6月号に掲載されましたので、この日(5月29日)のブログに転載しました。
しかしこの原稿が、建築家という専門職者の間だけで流通するような内容にしても、その7割はこの職能を成り立たせている日本人社会についての一般的な見解としても意味を失っていないと思われるので、そこでも予告していますように、本日の記事として改めてここにコピーを転載することとしました。5月29日付けの同じコピーは、当面そのままにしておくこととします。
ここで建築家という職業が置かれている、最近の実情をお知らせできると思いますが、論点の立脚部分は主に、個人および個人能力で仕事を進めている「建築家」(この業界では「アトリエ派」と呼ばれている)の立場に立っています。
また「建築士」という言い方もありますが、あえて「建築家」と称して区別しています。前者は国の建築士資格を取った者をいい、後者はそれを越えて、美や芸術の理解や能力も含む個人能力のある者のことを言っています (議論のあるところですが、もちろん私の理解です)。
なお、JIAは建設業等に所属する建築士、あるいは建築家は入会できないことになっていますが、大手設計事務所はこの限りではありません。ここでの議論はこれらを越えた議論にしようとしています。
後段の専門用語による提案の部分は、読み流して頂ければと思います。
(JIAマガジン用原稿=掲載は293号June2013) 20130415
正義の話をしよう―
活きろ!「隣組地域会JIA」
●進む「顧客誘導営業ビジネス」
頭が悪くて本当のところ、どうすればいいのか良くわからない。
JIA活動のことである。難しい論議は行き交っているが、一歩、一般人の視点に戻ってみると自分でも何が正しいのか、どうすれば正解なのか、いともあやふやである。
空間を、コストや景観も含め必要機能を満たした上で、誰にも負けずに美しく新しく見せようとする所作が、やった仕事は多くなくても、結果、すべて建て主に満足してもらえたことが自信につながってきた。しかし、ここ数年、設計が始まる前や建てる前にもめることが多くなった。
すでに明白だが、建て主が利口になってネット情報などをいろいろ調べ、勉強していることがあげられる。
反対に個人住宅の設計にも、ネットを利用した企業や企業化した設計事務所がデータを蓄積し、活動分野や「売り」の部分を専門化して業績を拡大。大手不動産業者までもが、営業力と広告を活用して小物件に参入し、ネット情報社会を加速させている。言いだすとあれこれ理由があるが、時代の大きな変換点に掛っていることがあちこちで感じられる。
建築士の飽和状態もある一方、このようにネットによる建築情報の過剰にとどまらず、超高齢化やスマートハウス化も進み、技術的にも設計側にCAD、CG革命が起こり、手続き書類類の多量化と複雑化にみる規制強化、設計者資格条件の厳格化などによって設計環境も大きく変わり、一段と厳しくなった。
そこに、工務店系であれ、大中設計事務所であれ、ゼネコンであれ、デベロッパーであれ、営業活動に本腰を置け、専門分野をからめて組織化対応できる所がより受注能力を高める構造が出来上がっている。「設計市場」は、建てたい人のフトコロにどんどん飛び込んで行く「顧客誘導営業ビジネス」に変わったのだ。
●組織格差も進む
もともと個人能力を信じて独立してきたアトリエ系は、その経営能力や事務能力のまずさから部分しか担保出来ない場合が多く、今や既得の顧客人脈頼りという難局に向かっている。改めて思うに、営業能力よりも設計能力のある個人設計者の社会的地位をサポートすることによって、業務への「保険」を獲得しようとしたのが家協会の考え方のベースではなかったのか、と思うのだが違ったか。国は、「組織としてモノを言って来い」という態度が示すように、建築家の個人能力などという私的な現実には気がつかない、というより関心がない。
組織とは言ったが、それは設計事務所=企業のことだ。企業の存続は事業の回転であり、利益を生むネタを生み出すことだ。それを設計でやらなければ存続できない。また組織化(企業化)できなければ、近年の設計業務は個人事業者には対応が難しい。維持継続が主題になれば、個人能力の最大発揮などは主題でなくなる。そんな社会構造が正当視されている。あるレベルの設計事務所まではこの葛藤で青息吐息だろう。頭がよければ設計をサイドビジネスにするのかもしれないが、それでもスタッフが必要だ。しかし、このはるか上がいて、仕事が向こうからじゃんじゃん来る、より取り見取りの大手やスター(芦原現会長の区分)もいる。アベノミックスとやらで、さらに拡大の気配がある。この組織格差はどんどん大きくなっていると思われ、ここに大手や成功組織は「零細プロの問題は相手にしても始まらない」と思われる、JIAにもありそうな問題が生じる。
●個人の主体性がない日本人が創る社会
多くのアトリエ系事務所が我慢しているのは、アトリエ系を救う別の公的組織が無いからであり、もともと旧家協会的にはアトリエ系の考えを主軸にしていたという思いが残るため、かすかな希望にしがみついているからであろう。しかし時代は変わり、コルビジュエ、ミース、前川、丹下の時代ではなくなっている。彼らの遺産をネット社会時代の情報論理に翻訳できなかったところに我々の苦渋がある。
好きなことをやっているのはいいが、また、社会性のある仕事であることも素晴らしいが、変化した時代の自分たちの置かれた厳しい社会状況を本質的には知らなさすぎるのだろう。今や日本社会は、本質的にも経済一辺倒になっている。すべて情報ベースの「売れてなんぼ」「モノになってなんぼ」「お値段はいくら」「保証は何」の世界になっている。メディアも必要悪と自己弁護してどんどんカネに転んでいるようだ。ということは、設計行為も知財権の一つとして明確に金銭換算していいことを意味しているが、どうもカネは汚いと思っているのか、前向きに対応していない。
日本人には今も昔も、何の能力が無くても自己を押さえ、皆で協力して仕事をすることを善とする風習があることを忘れてはならない。その上で、何らかのきっかけで一度決めてしまったことは、自らは容易には変えられない国民性が見えていることも覚悟しなければならない。一方、流れついた騎馬民族ももみ消された「流民のたまり場」が創り得た、「何でもあり」の未来可能性もある。若者に一度は、十年位、日本を出てこの国を見つめてみることを薦めたいのはこの実感を把握するためだ。
個人に主体性を認めないことによる結果としての資格好き、法制化好き。「皆と一緒に」を利用される「一律」好きに乗せられているのが日本人全体だ。才能がある個人能力者にとっての主張と独立は、「皆で一緒に」の国にあっては、ある意味で社会の風に逆らうことである。下地準備のない風習の中での、経済を教えられなかった独立建築家はまさしく当てのない「輸入職業」の実践者なのだ。
●設計の本質を知る個人にやさしい法規制の国へ
この「日本文化」を経験からの結果であるにせよ、いやというほど知ったのが、ある規模以上の企業組織に属する建築家たちであろう。供与される情報量もはるかに大きいし、この国では相互補助の協業が不可避であると甘受することになった。それを知れば彼らは組織から離れないだろうし、そこに得る余力と理想から「建築家の改革」に協力しようとする。大中設計組織の力こそが日本の底力なのであり、これを活かさない法はないのだが、個人を活かす経済構造の必要という立脚点が抜け落ちてしまっては困る。創造行為自体が、企業会計原理とは独立した経済単位であることを忘れやすいのだ。
しかし我々はカネが目的で設計などしていない。この個人能力を軽視した規制強化社会のベースを作ってきたのが主に官僚であり、これを法によって変えるには、悪意はなくても彼らの自己保全傾向をコントロールできる、深い文化認識と知識を持った政治家たちが必要だが、地域から国を変えようと戦う設計者や住民の思いをそこまで持ち上げる力を持った者がほとんど見当らない。当面はそれを承知で努力するしかない。
我々自身もまた「トータルな判定者」であろうとする以前に、モノや空間の実体性を軽視するかもしれない、このネット化社会時代を救う「クリエイティブ・プロ」としての旗色を鮮明にしなければならないはずだ。
●うまくやれば地域会に可能性が
この巨大な逆風を承知した上で、能力のある個人事務所が救われるような事業展開を進められるように考えていくことだ。地域会活動は、何とかそれに向かって頑張っているように思える。そこでJIAとしてやるべきだ、やってほしいと言えそうなのは次のようなことだと感じる。直観的に思いつくままであいまいな所もあるが、列記してみると…
1・地域会主導の情報交流センターのようなものの設置が出来ないか。知る限り現在の地域会は自己完結過ぎるように見える。もっと「隣組」関係を強化する必要がありそうだ。例えば、地域行政に対しての各行動で、しかるべき成果、不成果をまとめてデータ化し、対策を協議、広報、次の実行に移すような提案をまとめる場が欲しい。これはソーシャルコミュニティ活動、ヴァナキュラーな活動についても言える。
2・各地域会にあっては、アトリエ系事務所間の協力業務体制の推進。またアトリエ系と組織事務所間の連携協力へのルール化。ここにはネット情報の共有化と発信、人材交流、シェアオフイスへの配慮なども含む。もちろんUIAコードを受け入れての設計活動、地域活動をした上での話である。
3・以下は、よりセンター活動的になるが、地域会が連携を深めれば主題になる。
a・積極的に、サポート人材・政治家に投資し「育て」、その上で専門力に「任せる」組織化のへ改革。この時代に自分たちだけで何でもできると思うな、というのが実感。
b・経済行為としての「委任業務」と「請負業務」の概念を明確に区別し、国土交通省の考え方を検討し、無報酬的な設計行為を無くす業務ルールづくり。知財権としての設計行為への再評価。民間の感性力アップに合わせて「感性相談」など、「デザイン」を核にして社会一般の通用概念として考え直す時でもある。
c・プロポーザル・ルールの見直しと受付、調整、管理センターの提案。本誌が大きく取り上げてきた。例えば、A4紙1枚の文章だけという一次審査が、結果として審査員を著名事務所しか信用させなくする現実がある。これだけでも若者の出番はない。
d・日本版CABEの全国的な推進努力。イギリスで進められている行政と市民の間に入って公的な判定
業務を収入の一環とする施策案を議員立法に持ち込む。1で述べた地域会の情報を本部で吸い上げ
て戦略に活用していく。震災対策の例でも、行政は自己都合に合わせ調査し、予算配分権を持ち、コ
ンサルタントまでつけられるが、ある意味で被災住民は無防備のままであり、結局説得に負け何もで
きない場合が少なくないそうだ。そういう場に、専門家のアドバイスが公的に求められる時代に来て
いるはずだ。
e・公益社団の真の意味として日本における個人能力の評価不足を掲げて、そこからアトリエ系を救済する事業計画を誘導する。文化としての新しい産業をもたらすのに、個人能力への評価が不可欠であることが理解されないはずはない、として。
f・「建築基本法」実現への積極的なサポート。馬淵澄夫元国交相の時以来、弱体化が見える神田順会長
の準備会へのサポート。dとの関連も深い。アトリエ系事務所も救う建築の本質への理解と広報の実
践。これを三面記事問題に出来るだけで、民間の関心は高まる。景住ネット(景観と住環境を考える
全国ネットワーク)などとの情報交換も。
私は10年をミラノで過ごし、帰ってからはプロダクトデザイン分野もこなし、いかに日本が意味もなく個人能力を大切にせず、規制に甘んじる国民性の国であるかを知っているつもりだ。
「建築家とは何かを社会に向かって制度の形で明らかにする」(関東甲信越支部中野地域会資料20120615)のは良い。どんな考え方、感じ方の人間がそれを制度化出来るのかが先の問題だろう。こんな話が、あらゆる会議の中心になるようなJIAにしたいではないか。
大倉冨美雄
(関東甲信越支部港地域会前代表/特定非営利活動法人日本デザイン協会理事長/大倉冨美雄デザイン事務所)
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