「零戦」と「大和」・迷宮のヴェニス

【新トーク:モノ】(写真:戦艦大和



零戦」と「大和」―戦争が生み出したモノの美


最近、宮崎駿監督の新作、「風立ちぬ」がクランク・アップした。
監督が物語の主人公に選んだのが「零戦」(旧日本軍の零式戦闘機)の設計者の堀越二郎とのこと。「紅の豚」や「天空の城ラピュタ」を見ても判るが、宮崎監督はよほど飛行機が好きなのではないかと思っていたが、今回の作品について本人が語るところでそれは明らかになった。これまでの作品に飛行機のような空飛ぶ変な物体が何度も出てきている。あの「魔女の宅急便」の箒(ほうき)でさえ、空飛ぶ乗り物だ。

零戦は太平洋戦争の初期に活躍した国産の戦闘機で、マニアの間では神格化されている。機体を軽く作っているので、空中旋回性能に優れ、なかなか撃ち落とせなかったという。堀越二郎がマニアの間だけでしか知られていなかった(と思っているのだが)のが、アニメを通して社会化するのはうれしい。
その機体の魅力の一端は、端正な容姿にある。標準としての「プロペラ戦闘機」とは、このカタチを言うのだ、と示しているようなものだ。空冷エンジンの外径の大きさをうまくカバーするのに苦労したと思うが、そのためか大きな鼻(プロペラ・カウリング)が愛らしいキャラとなっている。


そういえば、今度の戦争が生み出した「日本製品」にはまだ神格化されたものがある。戦艦大和である。
知られるとおり、大和はアニメになり、歌になり、宇宙戦艦にまでなった。
大和の悲劇は、あの沈むはずもないと思われていた雄姿とも重なる。
精密なプラモデルも人気があるようで、これを見ているだけで、モノの形状や見え方の勉強になってしまう。砲台の前がグッと下がっていて、水平線から見ると船首から流れるようなラインを創っているし、この流麗さを上から見れば、なんと巨大な中央部甲板があるのにあらためて驚く。
少なくとも今度の戦争が生みだした戦争用品のうちには、日本人の心象にしみついた名品が少なからずあった。飛行機で言えば、「隼(はやぶさ)」を始め、「雷電」「飛竜」「桜花」から「連山」まで。船も「武蔵」を始め、いろいろあるだろう。

設計者たちの心意気にまで立ち入ってみたいが、それはまたの機会になろう。


こういう書きっぷりだと、必ず戦争反対者の否定論が出てくるだろう。大和の甲板はある時点では、号泣と血の海になっていたはずなのだから。
これについては、無理もないと思うし、そこに「モノ愛好者(哲学的には物神論者とでもいうのだろうか)」の説明できない限界と、ある種の馬鹿馬鹿しさが至高の境地であることがにじみ出ている。宮崎駿についても「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。矛盾を抱えた人」(鈴木敏夫プロデューサー:日経新聞H25/7/27)と言われている(このためかどうか、この映画は文学者・堀辰雄の感性を混ぜ合わせている)。それを承知で、またその落差を知る意味で、ここに書いている。

戦争の悲惨さ、むなしさ、無意味さを語り継ぐ仕事、歴史としての「なぜ」をたどる仕事などは、累々として積み上げられてきた。それとともに、戦う武器となった鉄器、用具などの「武具」への思いも残っている。特に戦争の実態を知らないで育った戦後世代の男の子には、見えるのはカタチとしての美ばかりかもしれない。
明治維新から七十年あまりでたどり着い技術力、それを磨かれたモノにする力には、日本人の持つ手わざ、工芸力とでも言うような底力を感じさせる。








【新トーク:空間】(写真:ヴェネツィアまち中風景)



迷宮のヴェニス


こういうタイトルの映画があった。
ヴェニスという街は、こういう言い方がいかにもぴったりしている。その水辺のポチャポチャした音、夕暮れになると輝き出す、ランタンが映り込まれた運河。すべてが非現実的で、半分夢のなかで泳いでいるような気になる。
こういう雰囲気を、須賀敦子さんは「ミラノ 霧の風景」の中で(舞台の上のヴェネツィア)うまく文章にした。
何度、訪ねたか記憶に無いが、ヴェニスは確かに非日常なところがある。
それを垣間見せるのが、夕方から夜になってである。特に夜になって人通りの少ない小道に入っていくと、どうしたら人通りのあるところに出られるのかわからなくなってくる。道といっても、巾1mちょっとくらいしかないような切り立った石壁の道もある。それが少しづつ曲がっていく。もちろん住居などの壁なんだろうが、ほとんど窓が見当たらず、だから明かりも見えない、ような気持ちにさせる。道の角に暗い街灯があるだけだから、少し離れると真っ暗になる。小運河添いに歩くと言ったって、どこまでも沿っている訳ではない。突然、小橋を渡って運河向こうの壁の中に入っていってしまったりもする。だから、かすかに人声が聞こえ、近づいて角を曲がったら、突然、人だかりのあるバーのようなところに出たりすると、ほっとするあまり、急に神経が緩んでしまうような気にもなる。  
須賀さんは、こういう「魔法にかけられたようなヴェネツィアをもう一度体験したくて」、町中に泊まったことがあるという。それはいい経験だっただろう。そしてこの町が、「それまで私が訪れたヨーロッパの他のどの都市とも基本的に異質であると思うようになっていた」ことに思い当たる。この気持ちは僕もまったく同じだ。
そして確信するようになったのが、「この都市全体に組み込まれた演劇性」だった。「島全体が、たえず興行中のひとつの大きな演劇空間に他ならない」と。

「迷宮のヴェニス」は、この心理をそのまま映画を通して具現化したようなものだ。それは殺人という異常性が、日常の出来事のように行われる舞台になっている。運河に面した西向きの大きな舘なら、4、5階のベランダから沈み行く真っ赤な太陽の熱線が室内に入り込んでくることも可能だろう。その光は、身じろぎも出来ないような、真っ赤な血の色なのだ。

福原義春資生堂名誉会長をお招きして語って頂いた時の話の始めは、「イタリアで聞いたことだが、『我々は観光が目的で街づくりなどしてきたわけではない』ということだった」というのだった。この後にもいくつかのイタリアや地中海の町の話が出てくるだろうが、まさしくヴェネツィアはその最大振幅の例であろう。

(なお、ヴェネツィアについては拙著「デザイン力/デザイン心」でも、「迷宮のヴェニス」のことも含め、この街への想いを語っています)