今、戦後のモノ文化の功罪が問われている

【日記:論】


モノの文化は否定すべきなのか
小泉和子さんの話を受けて、栄久庵憲司氏は感想を―        




それは、敢えて言わせて貰えば、「敗戦世代」ならではの心の内を見るようだった、と申し上げたら失礼だろうか。
そのことを図らずも、お二人のやり取りの間から感じ取ったのは私だけだったのだろうか。
お二人の議論は、過日(9月12日)、日本デザイン機構のセミナー「小泉和子さんと2時間」のサブテーマ「知恵のエネルギー、知恵のデザイン」として小泉さん(*)が語られたあとの、最後の会場からの意見として栄久庵さん(**)が述べてリアルなものになった。年齢も近いお二人の話は微妙に噛み合ないところがあり、2020年の東京オリンピックに対しても、期待する栄久庵さんと、なにも期待出来ないとする小泉さんの違いにもなった。

終戦のころ(1945)既に物心がついていたお二人の話を、偉そうに分析するのはいかにも僭越なのだが、我々を総称して「戦後世代」として敢て感想を言わせてもらおう。


栄久庵さんにしてみれば、 敗戦によりマッカーサーの統治が行き渡った結果、すべてを奪われ、食いぶちを探すだけの赤貧からの出発を余儀なくされた日本人は、モノを肯定し、モノに命を掛けるだけでせい一杯だった、ということになるのだと思う。その結果物質的な豊かさを通して経済も成長し、日本は大国になった。この成長に付随して精神の成長もあった、と考えればこの60年余は受け入れられるものとなるだろう。
ところが小泉さんになると、家父長性は崩れたが、親が子供に教えることが無くなった(教えるものも見失った)。つまり戦後になっても個としての精神の独立などは学ばず、集団主義を助長しただけだった、ということになる。モノがあふれても知恵や文化は育たなかったと。もっとたどれば、「産業革命から人類は滅亡に向かって歩み始めた」という。産業革命によってこそ、その存在意味も生じてきたインダストリアル・デザイナーであり、その直系としての栄久庵さんには、当然承服できないだろう(もちろん私にしてもただ事ではない)。

ただ私には正直どちらも理解できるし、どちらも正しい面があると思えてしまう。それは、モノへの深い理解からの肯定が精神にまで影響すると考える層と、モノでなく習慣や知恵が精神を形成すると考える層との「すれ違いでしかない」とも思えるのだ。
しかし、10年以上も世代の違う我々にしてみると、この「差異」はやはり、真の戦後の消失感、絶望感、孤独感を味わった世代の内面感覚の差なのではないか、という気がしてくる。「敗戦世代」とは勝手につけた言い方だが、我々のようには簡単には乗り越えられない深い体験があるように思う。アウシュヴィッツで生き残った人のその後の人生は、すべてそこでの体験に収斂してくるだろう。それと同じように。


それを承知するとして、どちらにも余韻が残ることは、次の見方で明らかになるだろう。
モノの肯定できた生き方は、生産大国と大企業中心体制を生み出した。そこには企業への従順を求め、個人を軽視する集団主義を肯定する世界が出現し、モノで楽をすることを善とする物質主義的勝ち感を蔓延させた。たしかにそのことが個人の社会保障などへの大幅な遅れをもたらしている。
精神の独立までは教わらなかった日本人は上記の社会風潮の中で、自分を見失い、KYを気にする民であり、アスペルガー症候群とまで言われる者たちを生み出し、変人扱いするようになってきた。便利でないこと、骨が折れること、快適でないことを嫌悪する風潮を生み出し、体を通して体験したことでなく、ネット情報を信じる若者たちを生み出した。


しかし、「生きる行為に負荷を掛けよ、そうすれば、これらの欠点を吸収できるとし(と小泉さんが指摘)、そのために昭和30年代の生活に戻れ」と言われても、それは実際には難しい。現実に享受した、家電や車の文化は、悪しき面があるにしても、今ではこれらを否定する理由を見つけることは難しい。医療などの進歩も簡単には否定できない。もちろん小泉さんも、昭和30年頃と言っていることは、初期家電による家事軽減や十分走れる車の時代になっていることは認めている。その意味でも、そこまでのデザイナーの努力は認められたともいえよう。してみると、その後の市場戦略、金融革命、電子メディアの時代とは、デザイナーの努力などの問題をはるかに越えた産業構造の大転換による問題になっていると言えるのでは。
その一方で、栄久庵さんが見つけようと願っている「モノの心」を我々は極めたわけではない。モノや空間をどう扱っていくか、どう人間の精神に近づけ調和させるかは、引き続きデザイナーや建築家の仕事なのだ。
単純な現代の物質文明への否定ではない精神の鍛錬の途を見つける必要があるだろう。


なお、小泉さんの話の中では「政治への参加が大切」としか語られなかったが、渡されたメモには極めて重要なことが書かれていた。日本の「GDPは世界2位、でも社会保障は先進国で最低水準」を明かす数々のデータ(2009)だ。
でも、地域の伝統文化を再生させるなどだけでは、政治としてこの見えにくい国の構造を国民の合意にまで持ち上げることは難しいと思う。これこそが、個人を軸とせず、企業中心主義、集団主義できたこの国が抱える本質問題なのだ。
お二人の議論を聞いて思うのは、今、改めて「自分はどう考え、どう行動するのか」を決めて行動するべき時代になった、ということだった。


(補注)
小泉和子:家具・室内意匠史と生活史の研究家。登録文化財昭和のくらし博物館館長。生活史研究所主宰。工学博士。著訳書多数。1933年東京生まれ。
**栄久庵憲司:インダストリアル・デザイナーとして、黎明期から日本の工業デザインを引っ張ってきた。(株)GKインダストリアル・デザイン会長。著書受賞多数。
なお、このセミナーにはモデレーターとして、在日暦25年のフランス人女性、マニグリエ・マヤ(真矢)さんが関わっている。日本語ぺらぺらの彼女の言に、「日本人は帰属する。フランス人は参加する」という興味深い指摘があった。



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