ミラノも移住外国人でもみくちゃ

【情報】:ミラノからの近着情報



夢が無くなりそうなイタリアへの想い




北アメリカ大陸に初期に渡った人たちの間では、この大陸に来るのはもう自分たちで最後にして欲しい、との思いが強かったようだ。
ポーツマスかどこかの港に着き、長靴に巻きついた海草を払いのけながら、大西洋を見やって「もう誰も来るな!」と怒鳴った、とかいう話をどこかで読んだ記憶がある。すでにどこかに書いたかな。
ミラノへの僕の思いにも、このような心理が無いわけではない。60年代には、イタリア人らしい社会があった。
こんど、深澤さんから送られてきたメールによると、夢も消えるようなミラノ情報が報告されている。


ちょうどこの24日に、イタリアを肴に日本を語らねばならない(8月26日の当ブログご案内参照)ので、こういう話を聞いてしまうと、視点・論点が変わってくるような気配さえ感じられる。もちろん、もとよりイタリア礼賛ではないのだが、アベノミックス論議が盛んなところにオリンピック招致の決定など、浮かれやすい日本人の体質を考えると、どういう話に持っていくべきか考えさせられる。ちょうど、陣内さんもイタリアから帰ってくるころだから、その辺から話の取っ掛かりが生まれるといいが…。

まずは深澤さんの報告を聞いてみよう。




大倉様


大変ご無沙汰しております。お元気のことと存じます。


今年のミラノは日本同様と思いますがかなり暑かったです。
バカンツアが終わり街に人々が帰ってきましたが、大変な不況と政情不安で社会はガタガタしております。失業者は4百万と言われ、国民総生産は2012年同時期に比べ約2%落ちているそうです。大通りの脇に入るとシャッタ−で閉められたお店も多いように見受けられます。次々と企業が潰れている様です。銀行の貸し渋りゆえ、マフィアが絡む高利貸しによる悲劇が多く起こっている現状です。経営者の自殺も多いようです。決して未来は明るく有りません。前の様に戻るまでかなりの年月が掛かるようです。


4月の例年のミラノ家具サロン、市内展の参加は相変わらず多かったです。
35年以上サロンを見てきましたが、景気の悪さを反映してか今年は何時ものお祭りの雰囲気が弱かったです。しかし外国からのデザイナ−、メ−カ−の展示への参加は増えているように感じます。ミラノのデザインのメッカ的立場は変わっていません。
今までデザイン後進国と思われていた国々、トルコやタイ、中国、クロアチアスロベニア、チリ、などからの参加展示を見ました。タイはDITPと言う政府機関が(日本で言えばジェトロ)後押しするとか、中国杭州の文化創造工業事務所がオルガナイザ−・後援のグル−プ展とかがありました。付加価値を生むデザインに、各国やその地方公共団体が後押しする傾向が見られます。


全く現代はインタ−ナショナル、グロ−バルな社会になりました。
ベルリンの壁崩壊後なだれを打って東欧の人々が西ヨ−ロッパに来ました。ミラノも、ル−マニア人、ウクライナ、モルダワ等の人々多いです。特に介護部門、アルバニアトルコ人ケバブ屋など経営、パキスタン人、インド人、スリランカ人、バングラディシュなど、週一回、通りの市で果物野菜の屋台を出しており、「日本福島ダメね」などと嫌味を言われます。モロッコ人、エジプト人も多いです。レストランやピザ屋をやる人も多いです。そして中国人。2世3世の時代になりました。レストランは昔からですが、寿司屋(80%は彼ら)。福建の中国人の主人やお上さんから、このごろ故郷に帰る人が多いとか、中国は賄賂が社会問題だとか、弟がアフリカのタンザニアに働きに行っているとかの話を聞きます。中国人経営のBARも多くなり、ビュ−ティ−サロンやたら増えました。あとコンピュ−タ−修理屋。


家の近くに、これはイタリア人経営ですが近年、葬儀屋が3件も出来たのです。オ−何をかいわんやです。

深澤正篤