映画「イル・マーレ」が教える事

【日記】 (タイトル変更:2017/11/08  個人記録編集中にこの頃の心象を確認するために検索していて)
時間差への想像力がない自分を確認




モノや空間を扱う奴には、時間差で遊ぶなんてことが全然出来ない?! いや、僕だけのことか。


個人的には、驚くようなことが起っている。
以前に見て、よく理解できなかった映画「イル・マーレ」をやると言うので見た(スターチャンネル2)。


建築家の親子が主人公ということもあって、当方の関心も高い。「湖(というより池)の上にたたずむ家」 (映画の原題もThe Lake House。なぜ「イル・マーレ」か、わからない。イタリア語で「海」という意味だからだ) が、ミースのガラスの家*みたいでかっこいいことも印象に残っていた。
この家はこの名を成した親父が若い頃設計したことになっている。長い間、嫌な親父と距離をとってきた長男をキアヌ・リーブスが演じ、没後に、親父に手を引かれてこの家の前にたたずむ幼い自分の姿が記念作品集に掲載されていて慟哭するシ−ンもある。


今度はちゃんと理解しようと思ってそのために見た。
でもやっぱりわかりにくい。
最後になっても、彼女(サンドラ・ブロック)と湖上の家で逢うシーンは、夢じゃないのかと言って、家内に失笑された。
「それだから、あんたは文章なんか書いていては駄目なのよ。想像力がないんだから。モノを創りなさい!」
うーん、ショックだ。驚くようなことだ。いかに僕が空想時間を動かせ、遊べないかが判って・・・。




確かに、消えて無くなりそうな愛をハッピーエンドにするために仕組まれた、「時間差伏線」の映像だということは十分わかるが、どうもタイム・ラグ・フィクションへの理解が弱い。
例えば終り間近かの場面で、キアヌの弟が経営する不動産会社を、このシーンまでの夫(だろう)と訪ねたサンドラが、壁にかけた「湖上の家」のスケッチを発見。すでに、「過去にいるキアヌ」と手紙交信して思い描いていた「彼氏の住い」だったので、誰が描いたのか、どこにいるかと問い詰めると、弟は「兄で、2年前に交通事故で亡くなりました」という。そこでサンドラが現場に居合わせ経験した交通事故を思い出し、「現在時点から見ると事故時間直前と判って」、湖上の家に駆けつける。そこの郵便ポストだけが過去との交信場所だからだ。そこで「湖上の家で待っている」とメモして祈るようにポスト入れると、事故直前のキアヌは、この手紙を見て、あやうく事故から身を引くことが出来、湖上の家に駆けつけ、ここで過去と現在が合体して愛を交わすことが出来た、というわけ。
弟が「兄は、2年前に交通事故で亡くなりました」と言ったのが、実は「変更可能な非常に近い近過去」だとしても、弟はその時点で「兄はすでに死んでいる」と過去を言明しているのだ。その言明も覆っていいというわけか。
うーん、説明が成っていないか。自分でも判っていないのか。
確かに、これでは空想の世界を扱うのは駄目か。
面白い映画なので、ご覧になって自己の「空想時間差コントロール度」を計ってみられることをお勧めしたい位だ。


*「ミースのガラスの家」: 建築家なら説明する必要のない、ミース・ファン・デル・ローエアメリカに渡って設計したファンズワース邸などのこと。ガラスと鉄骨を主材に構成し、和の木構造(軸組み構造)に近づいた。